ジブリ映画「柳川掘割物語」をオマージュした舞台 お笑い界のレジェンド小松政夫親分が地域貢献として スペシャルゲストで参加!娘役で黒滝サクが出演
小松醤油の娘役の黒滝サクが、舞台設定の小松醤油の醤油、味噌、海苔に 小松の親分のギャクをオマージュしたネーミングの商品も会場で限定販売!
2018.10.17 17:45
2018年10月13日(土)、14日(日)に小松政夫氏がスペシャルゲスで、小松醤油の主人として出演した、柳川観光大使の江口信一座主催の舞台「柳川の掘割を蘇らせた人々、げな!?」を、小松の親分の地元である福岡県の南部にある川下りで有名な柳川市水の郷ホールで行いました。娘役で出演した黒滝サクは、柳川市周辺の食材、歴史、市内の飲食店をPRするための観光バル「やながわバル」のプロデュサーと、海苔ケラトプス研究所所長も務めており、柳川の食材のPRのために自身の役柄でもある「小松醤油ブランド」の商品を企画をプロデュースして会場で限定販売しました。
お笑い界のレジェンド小松の親分が、福岡県柳川の舞台にスペシャルゲストで参加。地元出身のモデル黒滝サクや柳川市民などとも共演。
■舞台「柳川の掘割を蘇らせた人々、げな!?」について
この舞台の中心になっている柳川の掘割とは、慶長6年(1601年)の柳川藩主田中吉政公が、柳川城を中心に内堀、外堀と城外の広範囲に毛細血管のように張り巡らせた掘割の整備を行ったもので、その距離は直線にして930kmに及びます。
柳川城は焼失していますが、掘割は当時の姿のまま残されており、内堀と外堀の一部が観光名物の川下りのコースとして利用されています。
かつての掘割は、柳川城を敵から守る役目だけでなく、人の移動や物資運搬の手段、農業用水、生活用水などに利用されており、掘割なくしてこの地での生活は成り立たない程に重要な存在でした。
昭和初期、水道の普及と高度経済成長により、掘割の存在価値は薄れ、徐々に汚染し始め、腐敗し悪臭が立ち込み、蝿が飛び回るドブ川の様相に変貌し始めました。
腐敗が進む掘割へ対する市民のストレスは、昭和50年代に入りピークを迎え、当時の柳川市長、市議会は掘割を埋め蓋をしようと決断しました。
しかし、そこに掘割を蘇らせようようと立ち上がった人々の話を描いた喜劇が「柳川の掘割を蘇らせた人々、げな!?」です。
この物語は、実話を基にしており、今年亡くなったスタジオジブリの高畑勲氏と宮崎駿氏が、3年の歳月を要して1987年に公開したスタジオジブリ作品の実写映画「柳川掘割物語」で描かれた内容のオマージュと言える内容になっています。
<舞台の様子>
■スペシャルゲストの小松政夫氏は「小松醤油」の主人役で登場
小松の親分は、この「小松醤油」の主人の役で、往年のギャクを連発して会場を沸かせました。公演後には、新曲「親父の名字で生きてます」を熱唱して、観客を感動させる場面もありました。
■小松醤油の娘役で登場!柳川出身のモデル黒滝サクさん
舞台でもう一つの仕掛け、小松醤油の娘役で登場した、柳川出身のモデル黒滝サクさんは舞台に臨場感を与え、地域活性の為にと小道具兼物販商品のプロデュースを行いました。
地元の老舗醤油蔵「森山醤油」(明治33年創業)と、醤油蔵で味噌も造っているという裏設定を作り、老舗味噌蔵「鶴味噌」(明治3年創業)に協力を仰ぎ、小松政夫氏のギャクをオマージュしたパッケージデザインの「小松醤油ブランド」の商品を開発。
もう一つの商品として、全国2位の生産量を誇る柳川特産の海苔を、小松政夫氏の代表ギャク「しらけ鳥」をもじって「紫蘭花海苔(しらけのり)」という商品名を元に商品開発を行いました。
この「紫蘭花海苔」は、一般的な薄くて四角い海苔ではなく、まさに濃紫の蘭の花が咲き誇るような見た目にも珍しい立体的な形状の海苔を使い商品化しました。
■小松政夫氏のギャクをオマージュした「小松醤油ブランド」の会場限定販売商品
・醤油「ど~して、ど~して、醤油なの おせーて」500ml 432円(税込)
・味噌「なが~い目で、食べて味噌」750g 648円(税込)
・海苔「紫蘭花海苔(しらけのり)」16g 864円(税込)
・醤油・味噌・海苔3点セット 1,944円(税込)→1,620円(税込)
<商品画像>
「小松醤油ブランド」の商品企画・開発のプロデュースはモデルの黒滝サクではなく、自身が設立した海苔の研究、商品開発を行う「海苔ケラトプス研究所」所長の黒滝サクとして行いました。
URL: http://kataro.jp/norikera.html
<「海苔ケラトプス研究所」所長の黒滝サク>
■小松政夫氏の書籍「昭和と師弟愛」も販売
NHKドラマ「植木等とのぼせもん」の原案になった書籍「のぼせもんやけん」「のぼせもんやけん2」に並ぶ「昭和と師弟愛」も販売され、「あんたはエライ」の表彰状の特典も付いており、握手やサイン、記念撮影にも気さくに応じ、2日間3公演の舞台で、小松の親分の存在感の大きさを残して会場を後にしました。