明治大学農学部 新屋専任講師らの研究グループが マツノザイセンチュウの巧妙な寄生戦略の一端を解明 ~マツ枯れ防除法の開発へ新たな道筋〜
2020.07.14 18:00
明治大学農学部農学科 植物線虫学研究室の新屋良治専任講師、浴野泰甫(研究員)、桐野巴瑠(博士前期課程2年)、森林総合研究所の神崎菜摘(主任研究員)の研究チームは、電子顕微鏡を用いてマツへの寄生に伴うマツノザイセンチュウの形態変化を微細構造レベルではじめて明らかにしました。 この成果は、マツノザイセンチュウが宿主であるマツ樹体内環境に適応し、自らの形を変化させることでマツ防御応答を巧妙に回避する可能性を示します。 今回の発見は、マツノザイセンチュウの寄生戦略やマツ材線虫病の発病機構を理解するための重要な発見となります。
概要
「マツ材線虫病(通称:マツ枯れ、マツ食い虫)」とは枯死を伴うマツ科樹木の感染症であり(図1)、世界四大樹木病害の1つに数えられます。本病はマツノザイセンチュウと呼ばれる小さな線虫注1)がマツに寄生することによって引き起こされます。研究チームは、マツに侵入したマツノザイセンチュウが、宿主マツの防御応答を回避するために、樹体内の三次元的な移動に適した形態へと変化していることを明らかにしました。また、マツノザイセンチュウが宿主マツに寄生した際に、腸の微絨毛が著しく萎縮することも確認し、マツノザイセンチュウの巧妙な寄生戦略をとらえることに成功しました。これらの知見は、マツノザイセンチュウがマツ樹体内環境に適応し、急激な病気を引き起こす仕組みを理解するための重要な発見となります。本研究成果は、浴野さんと桐野さんが共筆頭著者、新屋良治講師が責任著者となった論文として、2020年7月14日付で科学雑誌Scientific Reportsに掲載されました。本論文はオープンアクセスになっています。
注1)線虫
線形動物門に属する多細胞動物。多くの線虫は肉眼では見えないほどに小さい(1ミリ前後)。
研究の背景
マツは日本人にとって文化的および経済的にも非常になじみ深い樹種ですが、100年ほど前から「マツ枯れ」による深刻な被害を受けています。マツ枯れとは、枯死を伴うマツ科樹木の感染症であり、マツノザイセンチュウと呼ばれる体調1mm以下の小さな寄生線虫によって引き起こされます。マツノザイセンチュウがマツ樹体内に侵入すると、マツは部分的に細胞死を誘導し、侵入者を封じ込めることで感染拡大を防ぐことを試みます。しかしながら、マツノザイセンチュウは樹体内を逃げ回り封じ込めを回避するため、連鎖的に細胞死が誘導され、最終的に通水阻害により樹木全体が枯死すると考えられています。一連の寄生線虫とマツ間の攻防において、マツノザイセンチュウがどのようにしてマツ防御応答を回避するのかに関しては未だ不明点が多く残されています。マツの枯死に先立って樹体内のマツノザイセンチュウ個体数が急増することが知られていますが、その理由についても明らかにされてきませんでした。これらの不明点を理解することは、マツノザイセンチュウの寄生戦略やマツ枯れ発病メカニズムを解明する上で極めて重要です。研究グループは、マツ感染後の異なる生育段階におけるマツノザイセンチュウの形態を透過型電子顕微鏡観察注2)により精査することで、線虫の適応的な形態変化を明らかにすることを試みました。
研究手法と成果
研究チームは、マツ細胞食ステージおよび菌食ステージの異なる条件下のマツノザイセンチュウにおいて、透過型電子顕微鏡を用いてマツノザイセンチュウの横断面の微細構造を観察しました。その結果、菌食ステージと比べてマツ細胞食ステージのマツノザイセンチュウは、体表の左右を縦に走る側翼注3)が大きく発達しており(図2)、腸の微絨毛は顕著に委縮していることが明らかになりました。
菌食ステージの側翼は平たく、滑らかな体表面をしているのに対し、マツ細胞食ステージの側翼はマッシュルーム型に大きく発達しています。線虫は横を向いて移動を行うため、側翼は自動車のタイヤのような役割を果たし、線虫の運動性を向上させていると考えられています(図3)。したがって、この観察結果は、マツノザイセンチュウが生きたマツに侵入した際、側翼をマッシュルーム型に大きく発達させることで、より活発な運動を可能にすることを示唆します。マツノザイセンチュウはマツ侵入後、側翼を発達させることで樹体内の三次元的な移動に適した形態へと戦略的に変化し、宿主の防御応答を回避する可能性があります。
また、菌食ステージのマツノザイセンチュウでは腸微絨毛が長く発達しているのに対し、マツ細胞食ステージの腸微絨毛が委縮していることが観察されました(図4)。哺乳類を含めた多くの動物において、絶食による刺激は、腸微絨毛を瞬く間に委縮させることが知られています。このことは、マツノザイセンチュウがマツ樹体内へ侵入後初期の段階では、マツ細胞の摂食により効率的に栄養を摂取していないことを示唆しています。実際に、感染後期の菌食ステージと比較してマツ細胞食ステージでのマツノザイセンチュウ増殖率が著しく低いことが過去の研究で知られており、今回の観察結果はこの裏付けとなります。
本研究で明らかになった側翼と腸微絨毛における微細構造観察から、マツノザイセンチュウの寄生戦略における一連の流れが見えてきました。マツ感染初期のマツノザイセンチュウは、最低限の栄養をマツ細胞から摂取しつつ樹体内での分散に特化することで、マツの防御応答を回避し、マツの過剰な防御応答を誘導します。その後、枯死が運命づけられたマツ内で繁茂した糸状菌を摂食することで、マツノザイセンチュウの個体数が爆発的に増加すると考えられます。本研究成果はこのマツノザイセンチュウの寄生戦略を支える形態可塑性注4)を初めて明らかにしました。
注2) 透過型電子顕微鏡
電子顕微鏡の一種。 薄片化した試料に対し、電子線を照射し、透過した電子を磁界型電子レンズで拡大して観察する。
注3)側翼
体の左右を縦に走る体表突起であり、摩擦により運動性を向上させるものと考えられている。
注4)形態可塑性
生物が環境条件に応じてその形態を変化させる能力のこと。
今後の期待
本研究で明らかになった、マツ感染に伴うマツノザイセンチュウの形態可塑性はマツ材線虫病の発病を引き起こすために重要な性質と考えられます。今後、この形態可塑性を制御する薬や技術の開発により、全く新しい線虫防除手法の確立につながることが期待されます。
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