機械翻訳の進化と異文化コミュニケーションの複雑さ
「正しさ」ではなく「違い」を意識~慶應義塾大学 井上逸兵教授~
2020.10.20 17:30
機械翻訳が発展し、英語学習の必要性について様々な議論が交わされています。そこでワールド・ファミリー バイリンガル サイエンス研究所(※以下、IBS)<東京都新宿区 所長:大井静雄>は社会言語学を専門とする井上逸兵教授(慶應義塾大学)にインタビュー。テクノロジーによって変化した英語の使い方や、こうした社会における異文化コミュニケーションの奥深さについてまとめました。
ビジネスで求められる「グローバル・テキスト」は「機械翻訳しやすい言語」
いまやGoogle翻訳などに代表される機械翻訳はAI技術により高性能化したテクノロジーの時代。そんななか、言語がどのように使われているか、といったことも研究テーマの一つにしている井上逸兵教授は、ビジネス分野における機械翻訳について「良い悪いではなく、一種の社会現象」だといいます。
「製品を多言語展開する大多数の企業は、(コスト低減を重視するため)取扱説明書やマニュアルなどをまず英語でつくり、それを機械翻訳しています」と井上教授。そのために「いかに機械翻訳しやすい英語を書くか」を考えるといい、こうした機械に適合させた英語は専門用語では「Global Text(グローバル・テキスト)」と表現します。
「Global English(グローバル・イングリッシュ)は、新しい社会言語学的な現象です」(井上教授)。人間の言語をテクノロジーに適応するには情報を迅速かつ正確に理解できるようにする必要があり、そのためには文法や文章スタイル、文化など、異なる言語間におけるさまざまな特徴の違いを考慮しながら英文を作成できる能力が求められます(JTCA, 2019)。
機械翻訳を使いこなすための英語的な発想
一方、日常的な対人コミュニケーションで、機械翻訳を使いこなすためには「英語っぽい日本語」、つまり翻訳を意識した、英語的な発想による日本語が必要ですが、「主語と動詞などの述部の関係が英語と日本語で大きく違うことがある、といった発想が身についていないと、『英語っぽい日本語』は書けない」と井上教授。例えば、話しことばをそのまま機械で翻訳すると、文法的な特徴を機械で正確に翻訳することがまだまだ難しく、不自然な英語になるといいます(井上, 2020)。
また文法的な違いだけではなく、ことばの使い方に表れている文化的慣習の違いもあり、NPO法人地球ことば村総会記念講演「AI時代の英語力」(2020年7月)で井上教授は次のように説明(井上, 2020)。
「どうやって行けばいいでしょうか?」という日本語は、主語が「私」です。しかし英語で相手に何かを依頼するときには、模範的な英訳のように、Can you~?などと、相手が主語になる場合があります。そのため機械翻訳のHow do I~?でも意味は通じますが、ぶっきらぼうな印象を与えてしまう可能性があります。
英語の依頼表現には「相手の独立した意思を尊重する」というアングロサクソン的文化が表れており、対人的な配慮が必要な状況では英語的な発想を知らずに機械翻訳を使うと、伝えたいニュアンスが若干異なってしまうことがある、と井上教授は分析。「どうやって行けるかを教えてくれませんか?」という日本語は、実際にはあまり使わない表現です。しかし上記の例のように、英語との言語的・文化的違いを意識して「英語っぽい日本語」を使うと、人間が翻訳した英語と機械で翻訳した英語がほぼ同じになることがわかります。
つまり、対人コミュニケーションで機械翻訳を使う場合も、伝えたいことを正確に理解してもらうためには、やはり相手の言語や文化を知っている必要があるのです。
「日本らしさを残した英語」で表現する力も求められるように
ただし、日本語を英訳するときに日本語っぽさ(日本語の言語・文化的特徴)を残すことは、必ずしも「悪い」というわけではありません。井上教授は、ジブリ映画などの字幕翻訳を社会言語学的に分析する研究も行っていますが、コンピューターやインターネットなどの情報技術の発展によって、日本のアニメや映画の翻訳が「あえて日本語っぽさを残す」ことが好まれるようになってきていると言います。
井上教授によれば、21世紀の4半世紀のグローバル化は、「コンピューターを介したグローバル化」で、GoogleがYouTubeを買収したのもこの時期。少なくともインターネット上の世界では、「英語」ではなく「コンピューター」を介してお互いに理解し合いし始めていると考えられます。今後は日本語や日本文化を理解するファンが増えれば増えるほど、「理解されやすい英語」だけではなく、「日本らしさを残した英語」で表現する力も求められるようになるかもしれません。
正しい単語や文法による英語での会話や読み書きは機械翻訳が補えても、グローバル化が進んだ今、それだけでは情報がうまく伝わらないことがわかってきました。異文化コミュニケーションにおいては、英語的な文化に合わせて英語を使うか、日本語的な文化を残して英語を使うか、という選択肢がありますが、井上教授は、どちらが良い・悪いということではなく「生き方の問題」である、と考えます。どちらでもよいが、どちらを選ぶかによって相手の理解が変わる、という複雑なコミュニケーションは、人間だからこそできることかもしれません。
詳しい内容はIBS研究所で公開中の下記記事をご覧ください。
■テクノロジー時代に見えてくる異文化コミュニケーションの奥深さ~慶應義塾大学 井上教授インタビュー~
■ワールド・ファミリーバイリンガル サイエンス研究所(World Family's Institute Of Bilingual Science)
事業内容:教育に関する研究機関
所 長:大井静雄(東京慈恵医科大学脳神経外科教授/医学博士)
設 立:2016年10 月