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【北海道 東川町】第37回「写真の町」東川賞の受賞作家が決定

国内作家賞を瀬戸正人氏、新人作家賞を岩根愛氏などが受賞

2021.05.01 00:00

第37回「写真の町」東川賞受賞作家

海外作家賞    莫毅(Mo Yi)氏
国内作家賞    瀬戸 正人(SETO Masato)氏
新人作家賞    岩根 愛(IWANE Ai)氏
特別作家賞    白石 ちえこ(SHIRAISHI Chieko)氏
飛彈野数右衛門賞 中野 正貴(NAKANO Masataka)氏

海外作家賞

莫毅(モ・イー) / 対象国:中華人民共和国

受賞理由:『1m、私の後ろの風景』(1989年)、『私は犬だ』(1996年)及び一連の作品に対して
1958年、中国・チベットに生まれる。元々サッカー選手だったが、そのキャリアを断念。'82年、初めてカメラを手にし、文学や絵画のように、写真を通して自由な表現の世界を目指す。'84-87年、父親世代のポートレートを表した個展「父親」('87年天津市群衆芸術館での大型サロン展)でデビュー。当時の美術界で描かれていた父親世代の力強さや優しさなどからは距離を置き、ぎこちなさ、歪みなど複雑な人間性を表し、新たな視点を示した。'89年のグループ展で発表した「1m、私の後ろの風景」(天津市中心公園展示ホール)は、カメラを首の後ろの襟の部分に設置し、レンズを後ろに向け、5歩歩くごとにシャッターを切るというパフォーマンスアートから生まれた。そこには、天安門事件前夜の人々の憂鬱、孤独といったものが映り込んでいる。残念ながら、展示開始の2日後、作品は会場から撤去される。'95年に雑誌『大衆撮影』で発表した「犬の目の写真」では、カメラにモーターを付け、三脚に装着して、それを逆さまにして持ち歩き、もう一方の手でレリーズを持って、街を歩きながらノーファインダーでシャッターを切っている。“犬の目で見た世界”と誤解されることが多かったので、タイトルを「私は犬だ」に変更。物事をはっきりと言えない人は動物と同じで、世界を見る必要がないという考えが本作の手法につながっている。'97年に発表した「レッドフラッシュ - 私のいる風景」や、'04年の「レッドフラッシュ - タカコの赤いドレス - 北京を歩く」、'11年 の個展「赤色の風景」(Zen Foto Gallery、東京)では、これまでの手法にフラッシュと赤いプラスチック板を使って、フラッシュの届く世界を赤色に染める作品を発表している。中国において赤色がもつ特殊な意味、政治や時代と人々の精神的な関係性を考察している。写真家として、写真というメディウムのみならず、常に個人と、社会、国家のあり方を問う作品作りを続けている。
「1m、私の後ろの風景」より 1988
「レッドフラッシュ - 僕のいる風景」より 1997
「私は犬だ」より 1995
「レッドフラッシュ - Takakoの赤いスカート - 北京を歩く」より 2004

国内作家賞

瀬戸 正人

受賞理由:展覧会「記憶の地図」(東京都写真美術館、2020年)に対して
1953年 タイ、ウドンタニ市生まれ。'61年 父親の故郷である福島県に移住。'74年 東京写真専門学校(現在の東京ビジュアルアーツ)在学中に森山大道と出会い、写真作家を志す。その後、18年間、深瀬昌久のアシスタントを務め、’81年に独立。’87年に自主ギャラリー「Place M」を開設。
'88年、生まれ故郷のタイ・バンコクと母の親族の住むベトナム・ハノイを約20年ぶりに訪れて撮影する。街と人々を描くドキュメンタリーでありながら、作家自身のルーツをたどるパーソナル・ヒストリーでもある写真集『バンコク・ハノイ』(アイピーシー、'89年)を上梓。日本写真協会新人賞を受賞。'93年にはアジア諸国や中近東など様々な地域から東京に移り住み、一般的な集合住宅で暮らす人々の居住空間から国際色豊かな東京の一面をとらえた写真展「部屋 Living Room, Tokyo」(Place M、'92-'94年)で、東川賞新人作家賞を受賞。'96年には写真集『部屋 Living Room, Tokyo』(新潮社、'96年)、コンパクトカメラのサイレントモードで電車に乗る女性を至近距離で撮影し、無表情の中にその人のリアルな姿を浮かび上がらせたポートレート写真集『Silent Mode』(Mole、'96年)で、第21回木村伊兵衛写真賞、写真の会賞を同時受賞。'99年には幼少期の記憶を綴りアジアの多様で複雑な歴史を映し出しつつも、自身のルーツを探す旅の記録ともいえるエッセイ集『トオイと正人』(朝日新聞社、'98年)で、第12回新潮学芸賞を受賞するなど、多彩な才能を発揮。
個展「記憶の地図」(東京都写真美術館、’20年)では、デビュー作「バンコク、ハノイ1982-1987」から、最新作「Silent Mode 2020」にいたる各時代の代表作を一望できるような形で構成。半世紀以上にわたりアジア各地の人々や暮らし、風土や自然、また社会を見つめた作品制作を続けている。
「部屋 Living Room, Tokyo」より 1989-1994
「Picnic」より 1995-2003
「Binran」より 2004-2007
「Silent Mode 2020」より 2019-2020

新人作家賞

岩根 愛

受賞理由:写真集『KIPUKA』(青幻舎、2018年)、展覧会「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」(東京都写真美術館、2020年)ほか、一連の発表活動に対して
1975年東京都生まれ。'91年単身渡米、ペトロリアハイスクールに留学し、オフグリッド、自給自足の暮らしの中で学ぶ。帰国後、アシスタントを経て'96年より写真家として活動を始める。
'06年、初めて訪れたハワイで、ハワイ最古の日本仏教寺院であるハマクア浄土院に出会い、日系移民の歴史を知る。ハワイの寺院で開催されるボンダンス(盆踊り)の熱気に魅せられ、以来ハワイに通い、ボンダンスを巡る。
'11年、ハワイ各地のボンダンスで生演奏される『フクシマオンド』の原曲が、東京電力福島第一原発事故により避難区域となってしまった地域の盆唄、相馬盆唄であることを知り、東日本大震災後の福島へ取材を重ね、福島県三春町にも拠点を構える。
1930年代にハワイの日系写真館で葬儀などの集合写真撮影に使用されていた回転式大判パノラマカメラ「サーカット」を修復し、福島の避難区域とハワイの移民一世の墓地を360度撮影するなど、移民を通じたハワイと福島の関連をテーマに、'18年にハワイ島で発生した大規模な溶岩流や、美しくも厳しいハワイの自然を織り交ぜ、'18年初の作品集『KIPUKA』(青幻舎)を発表。第44回木村伊兵衛写真賞、第44回伊奈信男賞を受賞する。ハワイと福島県双葉町の盆唄奏者の交流を描いたドキュメンタリー映画『盆唄』(中江裕司監督、テレコムスタッフ)をアソシエイト・プロデューサーとして企画、'19年に公開。盆唄を通じたハワイと福島の橋渡しを続けた足掛け12年の活動の様子を綴った書籍『キプカへの旅』(太田出版)を出版。'20年に参加した「あしたのひかり-日本の新進作家Vol.17」(東京都写真美術館)では、福島の避難区域内に咲く桜と、コロナで人影の消えた三春、北上、遠野、一関、八戸の夜の桜を撮影した「あたらしい川」を出品。同時に作品集『A NEW RIVER』(bookshop M)を刊行する。
「KIPUKA」よりShosuke Nihei, Kailua Camp, Kailua, Hawaii 2016
「KIPUKA」よりKalapana, Hawaii 2010
「KIPUKA」よりPaia Mantokuji Soto Zen Mission, Hawaii 2015
「A NEW RIVER」よりTenshochi, Kitakami, iwate 2020

特別作家賞

白石 ちえこ

受賞理由:写真集『鹿渡り』(蒼穹舎、2020年)に対して
神奈川県横須賀市生まれ。旅の中で写真を撮りはじめ、これまでにマレーシア、インドネシア、タイ、インド、ネパール、パキスタンなど世界各国を旅し、2000年代より本格的に写真の世界に入る。'08年 、旅先で見つけた“町の片隅でしずかに佇む古びた建物や、ちょっととぼけたモノたち”を収めた初の写真集『サボテンとしっぽ』(冬青社刊)を出版。その後、'20~'30年代にアマチュアカメラマンの間で流行した「雑巾がけ」と呼ばれる、プリントの上に油絵の油をひきその上に絵の具で調色をしていく古典技法に魅了される。'12年に開いた個展「ペンギン島の日々」で、自身の幼少期の曖昧な記憶を映像化した、詩情溢れるモノクロプリントを発表。後に、'15年 『島影 SHIMAKAGE』(蒼穹舎刊)として、2冊目の写真集にまとめる。写真でありながら、現実離れした絵画の中のような風景が、「雑巾がけ」で表されている。近年は国内のみならず、フランス・パリでの個展「鹿渡り SHIKAWATARI」( mind’s eye gallery Adrian Bondy、'19年)や、ジョージア・トビリシで開催された「トビリシ・フォト・フェスティバル2016」など活躍の場を海外に広げている。パリで発表された「鹿渡り」は、北海道、道東でエゾシカの群れを追ったもので、'20年に写真集 『鹿渡り SHIKAWATARI』(蒼穹舎刊)としてまとめられた。雪に覆われた北海道ならではの風景の中で、柔らかな光の中に包まれた鹿と作者との静かな物語が展開されている。
「鹿渡り」より 根室市風蓮湖 2018
「鹿渡り」より 根室市長節 2016
「鹿渡り」より 別海町走古丹 2016
「鹿渡り」より 根室市風蓮湖 2015

飛彈野数右衛門賞

中野 正貴

受賞理由:展覧会「東京」(東京都写真美術館、2019年)、『東京』(クレヴィス、2019年)、『東京窓景』(河出書房新社、2004)、『TOKYO NOBODY』(リトルモア、2000年)ほか、東京を撮り続けてきた作品に対して
1955年福岡県生まれ。'56年より東京都在住。'79年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科卒業後、写真家・秋元茂に師事。'80年よりフリーランスフォトグラファーとして独立し、雑誌や広告写真を中心に活躍。
2000年に誰も見たことのない無人の東京を撮影した写真集『TOKYO NOBODY』(リトルモア)を発表。'01年同作で日本写真協会賞新人賞を受賞。'05年、ビルや民家の窓から垣間見えるシュールな東京の特徴をとらえた写真集『東京窓景』(河出書房新社、'04年)で、第30回木村伊兵衛写真賞を受賞。20代の時に憧れ、旅した'80年代初頭のニューヨーク、LA、サンフランシスコなどアメリカの風景をコダクロームのポジフイルムで撮影した写真集『MY LOST AMELICA』を'08年にまとめ、第8回さがみはら写真賞を受賞。
個展「東京」(東京都写真美術館、’19-'20年)は、誰もいない東京の姿を写した「TOKYO NOBODY」、建物の窓から東京の特徴を捉えた「東京窓景」、川を漂い水上から東京を見上げた「TOKYO FLOAT」など、“東京三部作”と言われる代表作を中心に構成し、30年以上にわたる巨大都市の変わりゆく表情を表した。また、「TOKYO NOBODY」は、現在のコロナ禍を予測したかのような、無人の東京の風景が新たな意味を孕むこととなり、あらためて注目されている。変貌を続ける世界都市「東京」を独自の視点でとらえながら作品作りを続けている。
「TOKYO NOBODY」より Ginza 1996
「TOKYO WINDOWS」より Azumabashi 2003
「TOKYO NOBODY」よりShibuya 1992
「TOKYO FLOAT」より Ichinohashi 2005

第37回写真の町東川賞審査会委員

安珠 (写真家)
上野 修 (写真評論家) 
神山 亮子(学芸員、戦後日本美術史)
北野 謙 (写真家)
倉石 信乃 (詩人、写真批評)
柴崎 友香 (小説家)
丹羽 晴美 (学芸員、写真論)
原 耕一 (デザイナー)

「写真の町」東川賞

写真文化への貢献と育成、東川町民の文化意識の醸成と高揚を目的とし、これからの時代をつくる優れた写真作品(作家)に対し、昭和60年(1985年)を 初年度とし、毎年、東川町より、賞、並びに賞金を贈呈するものです。

東川賞の第一の特徴は、日本ではじめて自治体によって写真作家賞が制定されたこと。第二の特徴は、日本の写真作家賞が全て“年度”賞であるのに対し、国内、新人作家賞については、作品発表年から3年間までを審査の対象とし、作品の再評価への対応にも努めていること。第三の特徴は、海外の写真家を定期的に顕彰し、あまり知られていない海外の優れた写真家を日本に紹介してきたこと。また、顕彰を通じて海外の人々と出会い、交流し、平和への祈りと夢のひろがりを次の時代に託すことにあります。

各賞の対象については、国内作家賞及び新人作家賞は、前述の通り発表年度を過去3年間までさかのぼり、写真史上、あるいは写真表現上、未来に残すことのできる作品を発表した作家を対象とします。
特別作家賞は北海道在住または出身の作家、もしくは北海道をテーマ・被写体として作品を撮った作家、飛彈野数右衛門賞は長年にわたり地域の人・自然・文化などを撮り続け、地域に対する貢献が認められるものを対象とします。

東川町長が依頼するノミネーターにより推薦された作品を、東川町長が委嘱した委員で構成する[写真の町東川賞審査会]において審査します。

リリース用データについて

プレスリリース用データにつきましては、以下よりダウンロードしご使用ください。また、受賞作家の言葉や東川賞審査会講評につきましては、東川町国際写真フェスティバル公式ホームページよりご確認いただけます。

東川町国際写真フェスティバル公式HP

お問合せ

〒071-1423 北海道上川郡東川町東町1丁目19-8
写真文化首都 北海道「写真の町」東川町
写真の町課 写真の町推進室 担当:竹田・𠮷里
Tel 0166-82-2111 Fax 0166-82-4704
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