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[プレスリリース]藤原宮大極殿院の調査(飛鳥藤原第210 次)

記者発表資料をPDFでご覧いただけます

2022.08.08 09:00

概要

大極殿後方基壇および後方西回廊を検出し、その規模と構造を明らかにした。復元される平面規模や大極殿との位置関係から、大極殿後方基壇上の建物は大極殿後殿、後方西回廊はこれに接続する軒廊と考えられる。古代日本の宮都構造の変遷を考える上で重要な成果を挙げることができた。

1. 調査の経緯と目的

 大極殿院は藤原宮の中心部に位置し、周囲を回廊で囲まれた東西約120m、南北約165mの空間である。その中央には、即位や元日朝賀などの儀式に際して天皇が出御する大極殿がある。大極殿院については、戦前に日本古文化研究所が大極殿、大極殿院南門、回廊の部分的な調査をおこない、復元平面図を作成している。奈良文化財研究所は、日本古文化研究所の復元案の検証を目的の一つとして、1977 年度に大極殿北方(藤原宮第 20 次)、大極殿院西門(第 21 次)の調査を実施した。近年は、大極殿院の全容解明を目的として、回廊ならびに内庭の調査を継続的に進めており、2001・2016 年度に東門および東面回廊(飛鳥藤
原第 117 次・190 次)、 2007 年度に南門(第 148 次)、2009 年度に南面回廊(第160次)、2017 年度に回廊東北隅(第 195 次)、2018 年度に北門および北面回廊(第 198 次)の調査を実施してきた。これらの調査により、大極殿院各門の位置や平面規模、構造の一部が明らかになるとともに、大極殿院内庭は最終的に礫を敷いて整備されていることが判明した。

 2019 年度には、東面回廊に取り付く大極殿後方東回廊を発見したことで、藤原宮大極殿院と前期難波宮内裏前殿区画との構造上の類似性が改めて注目されることとなった(第200次)。しかし、2020・2021 年度に実施した大極殿院内庭東北部の調査(第 205 次)および北部の調査(第208 次)では、前期難波宮内裏後殿や内裏後殿東脇殿に相当する建物の明確な痕跡は確認できなかった。その一方で、大極殿後方の基壇(以下、大極殿後方基壇)とそれに接続する後方西回廊の存在が明らかとなるなど、新知見が得られている(第208 次)。これらの成果をうけ、今年度は、大極殿後方基壇と後方西回廊の規模と構造、およびそれ
らの造営過程の解明を目的として調査をおこなった。なお、今回の調査区はその一部が第20次調査区・第21 次調査区・第208 次調査区と重複している。

2.調査の成果

(1) 藤原宮期の遺構
大極殿後方基壇
第208 次調査で一部検出していた大極殿後方基壇を東西約14.0m 分、南北約15.0m 分検出した。後述する宮造営期の排水溝(南北溝1・東西溝1)に囲まれた内側が基壇の範囲であり、基壇の南辺は後世の東西水路で壊されている。残存する基壇土は厚さ約0.5m で、基壇の上面は小学校の建設などによって大きく削平されている。基壇土は黄橙色砂質土・暗褐色砂質土を版築状に積み上げて造成しており、積土の中に拳大の礫を多く含んでいる。なお、基壇の上面で明確な礎石据付痕跡は検出していない。

大極殿後方西回廊
調査区中央部で回廊の棟通りおよび南側柱通りの礎石据付痕跡を各1基、合計2基検出した。これらは大極殿後方西回廊の東端の礎石にあたり、梁行柱間は約
2.9m(10 尺)である。礎石据付痕跡は直径約1.0m で、人頭大の礫や凝灰岩を根石として用いる。凝灰岩は二上山産出の凝灰角礫岩で、板状に加工されたものを据付穴隅部に据えている。回廊基壇は東西約3.4m、南北約9.2m 分を検出した。残存する基壇土は厚さ約0.1mで、その大半が後世の耕作によって失われている。黄橙色砂質土・暗灰色砂質土を版築状に積み上げて造成している。
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