[プレスリリース]「倭歌」木簡の評価と展示について
2022.11.10 09:00
Ⅰ 倭歌(和歌)の初出に関する瀬間正之教授の御指摘
1 『万葉集』に見える「倭歌」「和歌」
基本的には「和(こた)え歌」
・唱和・応答の歌、という意で用いられる。
・漢詩と対置される「やまとうた」ではない。
⇒「和歌」は「こたえるうた」の可能性が強い。
「倭歌」は確実に「やまとうた」と理解できる。
・唱和・応答の歌、という意で用いられる。
・漢詩と対置される「やまとうた」ではない。
⇒「和歌」は「こたえるうた」の可能性が強い。
「倭歌」は確実に「やまとうた」と理解できる。
2 「倭歌」の可能性がある事例
巻五・八七六題詞「書殿餞酒日倭歌四首」)現行注釈書
八七六~八七九番歌の四首は、前後の歌の年紀から見て、天平二(七三〇)年頃のものと見られ、この題詞が確実に「倭歌」であれば、これが最古例ということができる。しかし、万葉集諸本には異同がある。
八七六~八七九番歌の四首は、前後の歌の年紀から見て、天平二(七三〇)年頃のものと見られ、この題詞が確実に「倭歌」であれば、これが最古例ということができる。しかし、万葉集諸本には異同がある。
「和歌」西本願寺本・神宮文庫本『萬葉集略解札記』…「倭」は「和」の誤りか
「倭歌」広瀬本・類聚古集・紀州本・細井本
但し、巻五目録は西本願寺本「書殿餞酒日和歌四首」広瀬本「書殿餞酒歌四首」
広瀬本題詞 西本願寺本題詞 広瀬本目録 西本願寺目録 類聚古集題詞
諸本で題詞・目録に「和歌」「倭歌」「歌」と揺れがある。題詞では「和歌」とする広瀬本も目録では「歌」であり、「倭歌」の確固たる例とは断言するには躊躇せざるを得ない。
「倭歌」広瀬本・類聚古集・紀州本・細井本
但し、巻五目録は西本願寺本「書殿餞酒日和歌四首」広瀬本「書殿餞酒歌四首」
広瀬本題詞 西本願寺本題詞 広瀬本目録 西本願寺目録 類聚古集題詞
諸本で題詞・目録に「和歌」「倭歌」「歌」と揺れがある。題詞では「和歌」とする広瀬本も目録では「歌」であり、「倭歌」の確固たる例とは断言するには躊躇せざるを得ない。
3 従来の「倭歌やまとうた」の初出説
①日本国語大辞典…この辞典は原則的として用例を初出例から挙げている。
やまとうた【大和歌・倭歌】
(1)わが国固有の歌。多く、唐歌(からうた)に対して和歌をいう。
*古今和歌集〔905~914〕仮名序「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける」
わか【和歌・倭歌】
(1)漢詩に対して、日本の歌。長歌・短歌・旋頭歌・片歌など五・七音を基調とした定型詩であるが、歌体の消長に伴って短歌が和歌を意味するようになった。漢詩に対する和歌の意識は「万葉集」の大伴家持などにすでに見られるが、歌論として明確に自覚されたのは「古今和歌集」の序文においてであろう。歌謡・連歌・俳諧・近代詩などは和歌の範囲から除外されている。やまとうた。うた。国歌。
*源氏物語〔1001~14頃〕玉鬘「この和歌はつかうまつりたりとなむ思ひ給る」
②近藤信義「国風暗黒時代の和歌文化圈―「仁明天皇四十賀の長歌」からの視点―」
水門二三(勉誠出版、二〇一一年七月) 六五頁。後に近藤信義『平安朝国史和歌注考』(花鳥社、二〇二〇年)三一五頁
『続日本後紀』巻十九・仁明天皇嘉祥二(八四九)年三月庚辰(二六日)「夫倭歌之體。比興爲先。感動人情。最在茲矣。」について
「倭歌」はヤマトウタの意を明確に意識した用字である。後年の『古今集』真名序の冒頭は「夫和歌者、託其根於心地」から始まり、「和歌」なる用字が中国詩(カラウタ)に対してヤマトウタを意識化し、万葉集の「和え歌」の概念と異なる用い方と言われる。なお万葉集には「書殿餞こた酒日倭歌四首」(巻五・八七六題詞)とあり、「倭歌」の先例かと思われるが、平安末期の『類聚古集』に拠る修正であるので当該字例の方が先行、もしくは初出となる。
やまとうた【大和歌・倭歌】
(1)わが国固有の歌。多く、唐歌(からうた)に対して和歌をいう。
*古今和歌集〔905~914〕仮名序「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける」
わか【和歌・倭歌】
(1)漢詩に対して、日本の歌。長歌・短歌・旋頭歌・片歌など五・七音を基調とした定型詩であるが、歌体の消長に伴って短歌が和歌を意味するようになった。漢詩に対する和歌の意識は「万葉集」の大伴家持などにすでに見られるが、歌論として明確に自覚されたのは「古今和歌集」の序文においてであろう。歌謡・連歌・俳諧・近代詩などは和歌の範囲から除外されている。やまとうた。うた。国歌。
*源氏物語〔1001~14頃〕玉鬘「この和歌はつかうまつりたりとなむ思ひ給る」
②近藤信義「国風暗黒時代の和歌文化圈―「仁明天皇四十賀の長歌」からの視点―」
水門二三(勉誠出版、二〇一一年七月) 六五頁。後に近藤信義『平安朝国史和歌注考』(花鳥社、二〇二〇年)三一五頁
『続日本後紀』巻十九・仁明天皇嘉祥二(八四九)年三月庚辰(二六日)「夫倭歌之體。比興爲先。感動人情。最在茲矣。」について
「倭歌」はヤマトウタの意を明確に意識した用字である。後年の『古今集』真名序の冒頭は「夫和歌者、託其根於心地」から始まり、「和歌」なる用字が中国詩(カラウタ)に対してヤマトウタを意識化し、万葉集の「和え歌」の概念と異なる用い方と言われる。なお万葉集には「書殿餞こた酒日倭歌四首」(巻五・八七六題詞)とあり、「倭歌」の先例かと思われるが、平安末期の『類聚古集』に拠る修正であるので当該字例の方が先行、もしくは初出となる。
当該木簡の公開・展示について
「地下の正倉院展」後期にて展示予定。
期間:11 月1 日(火)~11 月13 日(日)
場所:平城宮跡資料館
期間:11 月1 日(火)~11 月13 日(日)
場所:平城宮跡資料館
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