致遠教育 創設者兼CEO 李 翀宇のインタビュー記事を「人民...

致遠教育 創設者兼CEO 李 翀宇の インタビュー記事を「人民日報海外版日本月刊」にて公開

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致遠教育の創設者兼CEO 李 翀宇のインタビュー記事を、「人民日報海外版日本月刊」にて公開します。


致遠教育 創設者兼CEO 李 翀宇 


■インタビュー記事について

中国の経済と科学技術は飽くなき発展を遂げ、2010年、GDPは初めて日本を抜いて世界第二位となった。そしてちょうどその頃から海外留学、とりわけ日本への留学が脚光を浴びはじめた。それは一部の人たちの興味に留まらず、いよいよ多くの家庭のなかで有力な「選択肢」、あるいは「第二の人生」として認識されるようになっていった。

そして2023年、全国大学入試を終えた受験生たちが期待と不安を胸に結果を待っていた6月のある日、本誌記者は致遠教育の創設者にしてCEOでもある李 翀宇氏と対談し、「留学」という言葉が持つ本当の意味を追った。


致遠教育


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■自ら道を切り開き、大学院までの空白を埋める

「わたしは小さな町の受験生だったわ」、「この体は努力と情熱で出来ているの」、李 翀宇氏は大学受験のメッカである河北省において言語系の名門大学に優秀な成績で入学したが、往事のことをそんな小気味よい言葉遣いで振り返ってくれた。

大学三年生の時、学業においてまだ余力のあった彼女は、中国にある大手の日本語指導塾でアルバイトをはじめた。生徒に対する思いやり、仕事に対する熱意、そして自身の経験から導き出した効果てきめんの勉強方法、李 翀宇氏はこれらを頼りに、夢を胸に秘めた同世代の人々の日本語レベルを一気に引き上げ、日本留学という最初の切符を手にする手伝いをしてきた。

大学卒業後、日本の大手企業の中国支社に就職すると、水を得た魚のように優れた能力を発揮し、ほどなくして東京本社に異動することとなった。李 翀宇氏は両親に経済面での負担をかけたくなかった。そのため「留学」の言葉をずっと飲み込んできたのだが、初めてその足を日本の地に下ろすことができたのである。そのとき、心の奥底から響いてくる自分の声にはじめて向き合った――もっと勉強したい!


李 翀宇氏にはつきもあった。会社の上司は大学院に入りたいという彼女の考えに理解を示してくれたし、先輩は自分の恩師に連絡を取って彼女への助言を求めてくれた。ただ残念だったのは、当時の日本にはまだ大学院への進学を考える中国人留学生をサポートする場所が無かったことである。そうした環境であることもわかった上で、李 翀宇氏はこの茨の道をひたすら歩み、進学への道を模索した。

それからは、日本の大学入試に関する資料を机の上に広げ、休憩時間には目を皿にしてホームページをチェックし、日々試験情報を収集した。李 翀宇氏が東京大学の筆記試験に合格した留学生二人のうちの一人になったのはそうした不断の努力があったからで、不思議でも何でもない。しかし、面接でのたったひとことの言い間違いにより、結果は不合格となってしまった。そしていくつか受け取った名門国立大学の合格通知のなかから、最終的に彼女は最も悠久の歴史を有する一橋大学の商学部に進学することを選んだ。

初めて日本にやって来た外国人が発奮し、一挙にして名門大学に入学する、それは言うまでもなく並大抵のことではない。ましてや、当時は留学生が入試を受けるための情報など無きに等しかったのである。大学院への進学にあたって李 翀宇氏が身をもって経験した困惑、彷徨、挫折、流した一粒一粒の汗、そして不安で眠れない夜、そのすべてに価値がある、李 翀宇氏はその点に気づいていた。だからこそ、日本の大学に進学するためのネット上の情報コミュニティに積極的に参加し、自らの経験と知識を熱心に広め、東大で辛酸をなめた面接の経験をも惜しみなく伝えた。顔も知らない後輩たち、彼ら彼女らからの信頼と感謝こそ、李 翀宇氏の報酬にほかならなかった。そしてこうした無償の活動がある人々の目に留まるとは、当の李 翀宇氏にとっても思いも寄らぬことであった。

当時、日本で影響力のあった華僑の進学指導グループが、李 翀宇氏に白羽の矢を立てたのである。彼らは李 翀宇氏に、日本にやって来た中国人留学生が日本の大学院に進学するまでの空白の時間を指導し、そうした留学生たちのために大学院進学への指導体制を整えるという重大な任務を打診してきた。こうして李 翀宇氏は商学に関する研鑽を積み上げつつ、大学院へ進む予科において指導に当たるようになった。その内容は各種の研究計画のひな形作成や各学科の教材編集から、模擬面接の実施まで多岐にわたるもので、李 翀宇氏は日本の大学院進学を目指す中国人留学生のための指導体制の構築に心血を注いだ。

2016年、商学研究科の修士号を取得した李 翀宇氏は、同時にすでに三年もの教学指導経験を積んでいた。こうして学び得た教学の理論や方法をどうするべきか、前途は水の低きにつくがごとく開かれていった。



■前途を照らし、希望を育て続ける

同じく2016年、致遠教育がその産声を上げた。大学院への進学指導を出発点に置いたことで、致遠教育は創設当初から高水準かつ高評価を得ることに成功する。

多くの業種において一定程度には不良品や返品が発生するものだが、それらはあくまで単なる数字でしかない。しかし、こと教育業界においては話が違う。教学の場において「返品」や「キャンセル」は許されないのである。教育分野で事業を興すのは、目先の利益を求めるからではない。その時々の結果を求めて最善を尽くすのは当然ながら、学生たちの前途、さらに言えば一生涯の成長を見守る覚悟が必要となる。

致遠教育は創業二年にして、早くも進学率90%という数字をたたき出した。しかし、李 翀宇氏はその数字に甘んじることなく、組織内の構成をさらに見直した。李 翀宇氏が注目したのは、日本にやって来る中国人留学生たちが何を求めて来ているのかである。彼らは経済的利益を求めている部分もあるが、いかにして自身の理想を実現するか、いかにしてより多くの知識と教養を身につけるか、そうした点に重きを置いている。そこで致遠教育は、大学側の学生募集条件と学生側の進学の目的に合わせて、普通本科試験、大学院試験、芸術類試験という三つのコースを用意した。また、クラス担任制を敷き、それを補佐するチューター、全体の教務計画を策定する職員を置いて、教学チームの編成を最適化した。さらには、日本各地の有名国立、私立大学の申請と入試の時期に合わせて、相応の練習問題クラス、ラストスパートクラス、推薦試験対策クラスを用意し、それぞれに異なるレベルや学力、および求められる英語と日本語の能力に鑑みて、英語と日本語の基礎クラス、レベルアップクラス、ラストスパートクラスを設置した。

入試とは、その場その時限りの偶然に左右されることもある。また、たった一度の試験が時にはその人の一生を決めてしまう。そんな極限状況に、これまでいったいどれだけの親が切歯扼腕し、いったいどれだけの学生たちが回り道をすることになったのだろう。「留学」――それは大学入試でつまずいた学生たちに示される「新たなる道」であり、「新たなる好機」なのである。

「食材を活かすも殺すも料理人の腕次第」、優秀な人材の育成もこれに通じるところがある。「誰でも教育を受けることが出来る」、そうしたシンプルかつ平等な教育観に立ち、一人ひとりの学生にとって適切な道筋を見つけ出してあげれば、どの学生もそれぞれ唯一無二の光を放つものである。学生の強み、特長、興味、不足をいかにして掘り起こすか、学生自身の状況に鑑みて最もふさわしい進路をいかにして見つけるか、学生たちの流す汗の一粒一粒にいかにして価値を持たせるか、学生たちに最短の時間と最高の効率でいかにして合格通知を受け取らせるか。李 翀宇氏と致遠教育はこれらを最も重要な教学理念として位置づけている。

時間は何物にも代えがたい。一年半の準備期間を利用して中国の高等職業学校から東大に入った学生も、致遠教育においては一人や二人ではない。また、当初はランクが下の大学を考えていた学生や、得意不得意の科目に大きな偏りがある学生も、致遠教育のサポートを得て東大や早稲田、あるいはその他の有名な大学の主要な学部に入学を決めた。そうした例まで含めると、実に枚挙にいとまがない。李 翀宇氏は、かつて観光ビザで日本に入り、カプセルホテルに泊まりながら東大に合格した学生のことを思い出して目を輝かせた。

前途を照らす人、それはすなわち希望を育む人である。致遠教育に籍を置いた学生が自分が志望する大学への入学を勝ち取った時、李 翀宇氏はかつて一橋大学の商学部に合格した自分自身の姿と重ね合わせ、彼らのために心から快哉を叫ぶ。驚くべきことに、李 翀宇氏は在籍した学生の名をいまもなおすべて覚えているという。その記憶力には驚くばかりであるが、それと同時に、学生一人ひとりのことをいかに尊び、いかに大切に思っていたかという、教育に対する彼女の執念と熱意には感動を禁じえない。



■初心を受け継ぐ強力なチーム

致遠教育には日本国内だけで正規非正規を合わせて400名以上の教職員が籍を置いている。すべての学科は50人を超える博士号取得者によってカバーされ、300人からなるチューターたちが学生に対してマンツーマンで指導に当たっている。彼らは学生たちの学習実績を細かくチェックしており、個々人の状況に応じて随時学習計画を見直してくれる。強力な講師陣が、高水準な研究レベルにある大学院から提出される専門的な問題にも対応してくれる。このように充実した致遠教育の体制は、大学院入学指導のフロンティアとしての抜きん出た実力を証明していよう。

情熱を燃やして後に続く学生たちをサポートすること、あるいは企業や社会的な責任を担うことについて、李 翀宇氏は自身も様々な苦しみを味わってきたと率直に語ってくれた。だが、いつも明るく前向きな姿勢を失わない李 翀宇氏は、すぐにそうした心の結ぼれを解きほぐし、同業他社との交流を通じて、さらに人をもって本と為し、遠大な見通しに立脚するという教育観を固めるに至った。

チームはいよいよ成長しているが、夢を持つ中国人留学生の未来に対して責任を持つという初心が揺らぐことはない。李 翀宇氏は、自分の双肩には責任がのしかかっていることを重々承知しているし、またこの初心を致遠教育の同僚一人ひとりに伝えることも忘れてはいない。致遠教育の先生たちは、李 翀宇氏と同じように試験の準備をし、進学の希望を燃やし、夢を追ってきた。だからこそ知識や技術に対しても畏敬の念を持っている。そして学生たちの未来を大切に思い、学生たちの夢を尊重している。彼らは徹底した授業準備、微に入り細を穿つ添削、さらには絶えざるアドバイスを通じて、学生たちにただの「知識」を覚えさせるだけではなく、知識を連鎖として捉え、「なぜそうであるのか」というレベルで理解を促すのである。

錚々たる教学の実力は堂々たるデータに表れている。法人化して6年、致遠教育は相前後して400人に迫る学生を東大、早稲田、慶応といったトップクラスの大学に送り込み、2022年と2023年のデータによれば、1000通をも超える合格通知書を勝ち取った。目下のところ、致遠教育は東京に三校を構え、北京、蘇州、杭州、南京などにもそれぞれ分校を開設している。

スタート地点、レベル、クオリティ、そのいずれをとっても高い水準にある致遠教育は、創設からほどなくして国内外の権威ある教育機関によって評価された。たとえば、北京第二外国語大学と正式に提携し、同大学国際科教員の名分を得て、日本の大学への編入プロジェクトに携わることになった。また、プロフェッショナルな人材の交流を促進するため、人材サービスの分野で最も名高いFESCOとも提携した。さらには国内のハイエンド教育サービスである中公教育とパートナーシップを結び、「プロフェッショナル人材育成」プロジェクトをともに推し進めている。

学びと成長は一生のことである。致遠教育が着実に推し進めているのは、生涯を閉じるまでの学生の成長を見据えた遠大なる事業と言っていい。現在、致遠教育は長崎外国語大学、長崎大学、吉備国際大学と提携を結び、いわゆる飛び込み受験のルートを他に先駆けて構築している。このほかにも、南京大学、江南大学、西北大学といった中国国内の有名大学と確かな協力関係を築き上げ、日本最大のHR企業であるLink and MotivationやIBM、デロイト、マッキンゼーなど業界大手とも密接な交流がある。そのため、発掘から育成、そして育てた人材の送り出しまでが一つの輪となり、個々人の持つ価値を十分に活かすことが出来るのである。致遠教育の門を叩けば、得られるのは知識や技術、合格通知にとどまらない。向上心、探究心、そして死ぬまで勉学という人生観、これらこそ、素晴らしい人生の扉を開ける魔法の鍵なのである。



■編集後記

千里の道も一歩から。ごく一般的な家庭に生まれ、留学費用を捻出することも難しかった「小さな町の受験生」は、後輩たちを教え導きながら一橋大学商学研究科を修了して創業者になった。大学院進学へと続く道を手探りで進んだ開拓者は、教材の編集から教学体制の構築までを自らこなす専門家になった。李 翀宇氏はボトルネックを幾度も突破した自らの経験をもとに、勇躍して夢を追う後輩たちを励ましてくれている――夢があるなら迷わず進め!確かな歩みで遠きに至る致遠教育は、ありとあらゆる人生を豊かに彩ってくれるに違いない。

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