[プレスリリース]東大寺東塔の復元研究の成果について
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この度、奈良文化財研究所(以下、「奈文研」と略称する)は、宗教法人東大寺(以下、単に「東大寺」と称する)から委託を受け、平成30 年(2018)1月からおこなってきた東大寺東塔(七重塔)に関する学術研究の成果をまとめ、『東大寺東塔の復元研究』(奈良文化財研究所学報第104 冊、令和6年(2024)3月、非売品)を刊行いたしました。
本研究は、奈良時代創建の東塔の復元を中心に進めました。この中で、以下に述べるような大きな学術成果を得ることができましたので、公表いたします。
本研究は、奈良時代創建の東塔の復元を中心に進めました。この中で、以下に述べるような大きな学術成果を得ることができましたので、公表いたします。
奈良時代創建の東塔に関する主な成果
【文献史料の記載が判明】
写本にもとづく調査などから、文献史料に記載された七重塔の全高が23 丈余であったことをあきらかにした(1丈=10 尺)。
【上部構造の姿を詳細に復元】
発掘調査(遺構・遺物)、文献史料、現存する類例建物の検討などから、初重方5間、七重塔、本瓦葺の復元案を提示した。
初重総間は、発掘調査などから52.0 尺(約15m)である。全高は、文献史料に記載された23 丈余とみて妥当なことを、上部構造の検討から確定させた。
さらに、現実の建物として成立し得るか確認するため、塔の復元研究で初めて長期荷重に対する構造解析を実施し、この案が絵に描いた餅ではないことを示した。
初重総間は、発掘調査などから52.0 尺(約15m)である。全高は、文献史料に記載された23 丈余とみて妥当なことを、上部構造の検討から確定させた。
さらに、現実の建物として成立し得るか確認するため、塔の復元研究で初めて長期荷重に対する構造解析を実施し、この案が絵に描いた餅ではないことを示した。
【古代建築史研究を深化】
高さが判明したことで、その条件に合う復元案を検討した。その結果、古代建築の細部技法に迫る検討をおこなうことが可能となり、現存する薬師寺東塔(730)と唐招提寺金堂(奈良時代末期)の間を埋める形式を考案できた。
1.研究の枠組み
【東大寺七重塔とは】
奈良時代の東大寺では、大仏殿の南に東塔・西塔の2基の七重塔が創建された。
東塔は天平宝字8年(764)に相輪が上げられ(『東大寺要録』巻7雑事章)、この頃に完成した。その後、南都焼討(1180)で焼失したのち、鎌倉時代(1223)に再建されたものの、室町時代(1362)の雷火で再び焼失した。
それ以降、再建に着手されたものの完成をみなかった。西塔は奈良時代の建立後、平安時代(934)の雷火で焼失した。それ以降、再建に着手されたものの完成をみなかった。
両塔跡は、近代まで礎石を残していたが失われ、基壇の高まりだけが残されてきた。
東塔は天平宝字8年(764)に相輪が上げられ(『東大寺要録』巻7雑事章)、この頃に完成した。その後、南都焼討(1180)で焼失したのち、鎌倉時代(1223)に再建されたものの、室町時代(1362)の雷火で再び焼失した。
それ以降、再建に着手されたものの完成をみなかった。西塔は奈良時代の建立後、平安時代(934)の雷火で焼失した。それ以降、再建に着手されたものの完成をみなかった。
両塔跡は、近代まで礎石を残していたが失われ、基壇の高まりだけが残されてきた。
【研究に至る経緯】
東大寺の整備計画
東大寺は、平成25 年(2013)に『東大寺境内整備基本構想』を策定し、境内の整備を進めることとした。東塔院については、発掘調査をはじめとする各種の調査・研究をおこない「東塔のかつての姿を復元整備する」方針が示された。
東塔跡の発掘調査
東大寺が設置した東大寺境内整備委員会のもとに「史跡東大寺旧境内発掘調査団」(委員長:鈴木嘉吉、東大寺・奈文研・奈良県立橿原考古学研究所)を組織し、平成27・28 年に東塔跡の発掘調査を実施した。この調査では奈良時代創建期と鎌倉時代再建期の2時期の遺構が検出され、上部構造の復元に資する新たな知見が得られた(『東大寺東塔院跡 境内史跡整備事業に係る発掘調査概報1』東大寺、2018)。なお、基準尺は奈良時代が1尺=0.295 mと推定され、鎌倉時代が1尺=約0.30 mと仮定された。
発掘調査を受けた復元案
東大寺は、平成28 年に有識者数名からなる「東大寺東塔建築についての検討会」を組織し、発掘調査の速報的な成果を踏まえ、奈良時代創建の七重塔の復元案を検討した。検討会は、高さの異なる3案のシルエットと(図1)、1案(33 丈案:全高約100m)の復元透視図を作成し(図2)、同年12 月に記者
発表した。さらに、一連の過程をNHK が取材し、NHK が作成した復元CG が平成29 年1月にTV 放映された。
発表した。さらに、一連の過程をNHK が取材し、NHK が作成した復元CG が平成29 年1月にTV 放映された。
本研究の開始
東大寺は、境内史跡整備事業とは切り離したかたちで、平成30 年1月に奈文研に「東大寺東塔復元案作成にかかる調査研究業務」を委託した。これ以来、令和3年(2021)12 月まで調査・研究をおこない、令和6年3月に報告書の刊行に至った。
【研究全般の体制】
研究
奈文研では、都城発掘調査部平城地区遺構研究室(現:文化遺産部建造物遺構研究室)を中心に調査・研究と報告書の作成を進めた。文献史料の調査・研究は、同部平城地区史料研究室(現:文化遺産部歴史史料研究室)が分担した。このほかの調査についても、各分野の研究職員が参加した。各検討は、所内で開催した計20 回の検討会で定期的に発表・討論し、後述する委員会に諮る案を固めた。
図面作成と構造解析は、東大寺から委託を受けた公益財団法人文化財建造物保存技術協会が、奈文研の研究成果にもとづいておこなった。さらに、構造解析には株式会社立石構造設計が加わった。
図面作成と構造解析は、東大寺から委託を受けた公益財団法人文化財建造物保存技術協会が、奈文研の研究成果にもとづいておこなった。さらに、構造解析には株式会社立石構造設計が加わった。
委員会
東大寺は、日本建築史・建築構造・日本史の有識者からなる「東大寺東塔建築復元検討委員会」(委員長:鈴木嘉吉、委員:金多潔・濵島正士・栄原永遠男・藤井恵介・箱崎和久)を組織した。奈文研でとりまとめた案は、年2回の頻度で計7回この委員会に諮り、令和3年12 月までに復元案を固めた。
【これまでの復元案】
課 題
後述するように、文献史料に記載される「高」の概念(相輪を含むか否か)と、高さの記載のうち20丈余と30 丈余のどの記載を採用すべきかが課題であった。
天沼案(1910)
「高」を塔身高とみて、20 丈余を採用し、これに相輪高を足した(図3)。軒の出が巨大であるなど、実寸大の建物として成立させるには無理があった。なお、礎石抜取穴から初重は方3間と考えた。
足立案(1933)
「高」を全高とみて、30 丈余を採用した。偶然にも全高は天沼案に近い(復元図は未作成)。
箱崎案(2003)
文献史料や絵画資料から、初重は方5間と考えた。そして、同時代の元興寺極楽坊五重小塔を参考に、部材や柱間の寸法比を変えずに、初重方5間の七重塔を作成した(図4)。その結果、全高が約70mとなり、文献史料の「高」を全高とみて、20 丈余を採用した場合に近くなることを指摘した。
【復元研究の課題】
・ 発掘調査および文献史料(特に高さ)の調査・研究を踏まえた復元案の提示。
・ 実寸大の建物として実現可能な復元案の提示。
・ 実寸大の建物として実現可能な復元案の提示。
【研究の目的】
主目的
奈良時代創建の東塔の復元を目的として開始した。現存例のない大規模な五間七重塔のため、構造解析をおこない復元案を評価することとした。
付随した研究
委員会からの指摘で、鎌倉時代再建の東塔・奈良時代創建の大仏殿(裳階)の復元などもおこなった。さらに、伝東大寺礎石・東大寺所蔵古材・元興寺五重塔の古図の調査などもおこなった。
- カテゴリ:
- 調査・報告
- ジャンル:
- その他ライフスタイル
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