新緑さわやかな池田城跡公園の特設舞台で神秘的な伝統芸能を鑑賞! 「第二十六回 いけだ薪能」5月17日(土)開催
いけだ市民文化振興財団は、能・狂言が鑑賞できる「第二十六回 いけだ薪能」を池田城跡公園特設舞台にて2025年5月17日(土)に開催いたします。
いけだ薪能 イメージ
詳細: https://azaleanet.or.jp/26th-ikeda-takiginoh/
■行事名称 第二十六回 いけだ薪能
池田城を背景にかがり火で照らし出された舞台、夜空に響く謡や鼓の音色…。
新緑さわやかな夕暮れのひととき、あなたを幽玄の世界へいざないます。
今回の能の演目は、琵琶の名手として名高かった平経正が名器「青山」を愛し奏でて優美な生涯を送るも、一の谷の戦いで討ち死にした不運を描く人気曲『経正』と、中国・後漢の時代、ある夫婦が授かった子ども「天鼓」が天から降ってきた鼓と共に育ち、非運の死を遂げるが、父の愛情の深さから神秘的な出来事が起こる。壮大なストーリーが大変に美しく芸術性の高い曲『天鼓』を上演。
他に、元漁師のにわか坊主が説経を頼まれ、魚の名前を並べたお経で切り抜けようとする滑稽な様を描いた狂言「魚説経」、仕舞を披露します。
客席正面から
■日時
2025年5月17日(土)開場16:30 開演17:00
(17:00~17:30は五月山児童文化センター能教室による上演、17:30より番組上演開始)
■会場
池田城跡公園特設舞台(大阪府池田市城山町3-46)
(雨天の場合、池田市民文化会館へ会場を移し、開場17:30・開演18:00に時間を変更)
■入場料
前売自由席 一般3,000円/学生1,000円/小中学生500円
※当日券は一般・学生のみ500円増 ※未就学児の入場はご遠慮願います
■演目・出演
能「経正(つねまさ)替之型」梅若猶義、江崎欽次朗 他
狂言「魚説経(うおぜっきょう)」善竹彌五郎、小西玲央、他
能「天鼓(てんこ)」 井戸良祐、大坪賢明、他
■チケット取扱
池田市民文化会館 / いけだ市民文化振興財団
池田城跡公園 / ローソンチケット(Lコード:54963) ほか
※3月1日(土)よりチケット発売中
※ほか、箕面市内のプレイガイドでも取り扱い
詳細はホームページをご覧ください。
■ホームページアドレス
https://azaleanet.or.jp/26th-ikeda-takiginoh/
■主催・問合せ
いけだ市民文化振興財団
TEL:072-761-3131(池田市民文化会館内)
客席から 夕方
■演目あらすじ
◇能
【経正(つねまさ)】
京都・仁和寺御室御所に仕える行慶(ぎょうけい)僧都は、法親王の命により、一の谷の合戦で討ち死にした平経政(経正)(たいらのつねまさ)を弔うこととなりました。そこで琵琶の名手として知られた経政が愛用した青山(せいざん)という銘の琵琶を仏前に据え、管弦講※を執り行います。
経政の成仏を祈る音楽が響き、夜半を過ぎた頃、燈火(ともしび)のなかに人影がほのかに見えてきました。不思議に思った行慶がどういう方が現れたのかと問うと、その人影は、「経政の幽霊である、お弔いの有難さに現れたのだ」と告げるのでした。
行慶が声の方へ向くと、人影は陽炎のように消えて声ばかり残ります。なお行慶が消え残る声と言葉を交わすと、亡霊は、花鳥風月を愛で、詩歌管弦に親しんだ在りし日を懐かしみます。そして青山の琵琶を奏で、舞うなどして往時の様子をあらわにし、夜遊の時を楽しむのでした。しかしそれも束の間。修羅道に堕ちた身には、憤りの心が起こります。経政はあさましい戦いに苦しむ姿を見せ、その身を恥ずかしく思って人に見られまいと燈火を消し、暗闇に紛れて消え失せていきました。
※管弦講(かげんこう、かんげんこう):管弦の楽器により音楽を奏して死者を弔う法事
<みどころ>
この曲の主人公、平経政(経正)は平経盛の長男で、平家一門を統べた平清盛の甥にあたります。能「敦盛」の主人公、平敦盛の兄でもあります。貴族趣味に耽溺したという平家一門のなかでも、才の際立つ貴公子で、とりわけ琵琶の名手として名を馳せたそうです。
そういう背景を持つこの曲は、修羅物ですが、勇猛な雰囲気はほとんどありません。詩歌管弦に興じた日々を懐かしむ経政の姿が気品を持って描かれ、一曲を通じて王朝・貴族文化の優美な雰囲気が流れています。最後に少し修羅の様子を現しますが、経政は、戦う姿を人に見られるのを恥ずかしく思い、燈火を消そうとするくらいです。若々しい貴公子の優雅さ、たおやかさに重きを置き、よく洗練された小品です。経政が往時を懐かしんで琵琶の音に興じる様子を表したクセの部分は、謡いも舞いも変化に富んで特に面白く、そのほか全編がテンポよく進み、初心者も気軽に楽しむことができるでしょう。
軽々として短くさっぱりした曲の雰囲気からか、若い能楽師の演能も目立ち、素人が初シテで舞う能としても人気があります。流儀によっては小書きをつけて、より風雅な雰囲気を高めて演じられることもあります。
【天鼓(てんこ)】
中国・後漢の時代、王伯・王母という夫婦に授かった子ども「天鼓」は、不思議な生い立ちでした。この子は、王母が、天から鼓が降って胎内に宿るという夢を見て授かりました。するとその後、本当に、妙なる音色をたてる鼓が天から降ってきました。天鼓は、この鼓とともに育ちます。
その鼓の発する音は、大変に素晴らしく、人々を感動させ、悦びを導くものでした。そのうわさが皇帝の耳に入り、鼓を召しだすようにとの勅令がくだされます。ところが、天鼓はこれに応じずに鼓を持って隠れてしまいます。しかし、あえなく捕らえられ、呂水に沈められてしまいました。鼓は、宮殿に運ばれてさまざまの楽師が試みに打ちますが、主の天鼓を失ったためか、全く音を発しません。誰が打っても鳴らないため、皇帝は、天鼓の父・王伯に鼓を打たせよと、勅使を送って召しだします。王伯は、鼓が鳴らなければ自分も殺されるのを覚悟で宮殿に上がり、わが子への思いを胸に鼓を打ちます。すると、この世のものとは思われない音色が鳴り響きました。
感動した皇帝は、王伯に褒美を与えて帰し、天鼓の冥福を祈るため、呂水のほとりで管弦講をおこなうことにしました。講の当日、皇帝が呂水に御幸すると、天鼓の霊が現れ、懐かしい鼓を打ち、管弦に合わせて、ひとしきり喜びの舞を舞います。楽しげに舞う天鼓は、ほのぼのと夜が明け、空も白む頃に現か夢ともつかないようにして、消えていくのでした。
<みどころ>
前半では、わが子である天鼓を失った王伯の、悲運の別れに対する情愛と嘆きを中心に描き、後半では一転して、天鼓という神秘的な存在の芸術に遊ぶ、自由闊達な精神を中心に描いています。前後で老人から子どもへ、シテが大きく入れ替わり、対比の妙があるところに、もう一つの天鼓である不思議な鼓をからませ、非常に魅惑的な芸術性の高い物語に仕上がっています。
「天鼓」とは、七夕の牽牛の別称でもあり、出生の不思議さを思えば、天鼓は、天上人の化身なのかも知れません。呂水に現れた亡霊は、怨恨や恩愛といった、この世の情念からかけ離れた精霊のように描かれています。
◇狂言
魚説経(うおぜっきょう)
殺生が嫌になり出家した漁師は、まだ経も読めず、説経もできないまま西国見物を済ませ、見物と入門を兼ねて都へ向かいます。そこへ来合わせたのは、持仏堂の世話と法事をしてくれる僧侶を求人に来た信心深い男。
話がまとまり、男は出家を連れて帰り、早速説経を頼みます。困り果てた出家は、豊富な魚の名前を言い並べてその場を切り抜けようとしますが…。
プレスリリース動画
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