文化展覧会で中日両国の文化に橋を架ける 陳建中株式会社黄山美術社代表取締役社長 インタビュー記事を「人民日報海外版日本月刊」にて公開
株式会社黄山美術社 陳建中代表取締役社長のインタビュー記事を「人民日報海外版日本月刊」にて公開します。
先日、筆者は在日華僑で「文展大王(文化展覧会の王)」との誉れ高い黄山美術社の陳建中社長と会い、創設より二十年にわたるその経験について話を聞く機会を得た。宋代末期、忠国の英雄である文天祥は「二十年前 曾て路を去(ゆ)き、三千里外 行人と作(な)る」と詠んだ。筆者はふとしたときにこの句が口をついて出る。そのことを話すと、陳社長は微笑みながらこう答えた。「いささか感傷が強すぎるように思えませんか。私なら『二十年来 路を行き過ぎ、万里 瀛夏 橋を搭(か)くる人』と詠みたいところです」。そして、その心を教えてくれた。「『瀛』は東の海、つまり日本のこと。『夏』は中華、つまりわが祖国である中国のことです。この二十年、黄山美術社が果たしてきた務めは、実に中日両国のあいだに文化交流の橋を架けることだったのですから」。
橋を架ける! そう、黄山美術社を引っ張ってきた陳建中氏は、中日両国において共催で、あるいは単独で一つ、また一つと大規模な文化展覧会を開き、そしてその度に一本、また一本と文化交流の架け橋を、二十年にわたって架けてきたのである。その来し方を振り返れば、感慨無量の思いを禁じ得ない。
■一、志を抱く
初心忘るべからず、いっそう堅持すべし
―― 日本に来る前は安徽省舒城県の委員会宣伝部にお勤めでした。そして黄山美術社での二十年間も、文化展覧会を通じて中国文化の喧伝に尽力されています。日本に来てからの事業において、当時の仕事はどのような影響を与えているのでしょうか。
陳 そうですね、1991年に祖国を出る前は、安徽省舒城県の委員会宣伝部で、主には報道関係の撮影に関する責任者として勤めていました。いまから思えば、当時の仕事はわたしの人生における視野を広げ、とりわけ人生において何を追い求めるべきかということを考える上で、しっかりとした礎を築くことに役立ったと思います。
もう少し詳しく言いますと、まず当時の仕事によって大局的なものの見方を養いました。宣伝部の仕事の特徴としては、多くの情報にいち早く触れられること、さらにそれについて深く学ぶ必要があるということが挙げられます。これは大局的な考え方で問題に相対し、いかにして伝えればより焦点が浮かび上がるかを考える上で、私自身のためになりました。たとえば、撮影に当たっては現場に出かけ、時には自ら自転車をこいで村まで足を運ばねばなりません。それでも納得のいく写真が撮れなければ、それは何の仕事もしていないのと同じです。逆に上司からの指示やその意図を的確に酌み取らなければ、何を撮るべきなのかもわかりません。ですから「大局的な見方」と「着実な仕事」というのは、私が舒城県の委員会宣伝部でつちかった生涯にわたって有益な経験であり、その意味で当時はそれらを体得するための鍛錬の時期であったと言えるでしょう。
振り返ってみれば、私の「初心」はこの時期に形成されたように思います。「大局的な見方」と「着実な仕事」を通して広めるべきことは広め、広めるべきなのにまだ埋もれていることも拾い上げて広める、それが私の思考方式と行動原理になっていきました。ですから私は、安徽省舒城県の委員会宣伝部に育ててもらったことを感謝していますし、仕事によって酸いも甘いも経験しましたが、私という人間の礎を築いてくれたすべての人と事とに感謝しています。
特に申し上げたいのは、およそ海外で活躍する華僑なら、かつて祖国で学習や仕事を通して得た経験を忘れてはいけませんし、それはその後の人生にも影響を与えるということです。うまくその経験を引き出すことで、人生をよりよい方向に加速させることができるでしょう。初心忘るべからず、その目的は未来につなげていくことにあるのです。
■二、恩を知る
厚恩を心に刻み、己が品格となす
―― 異郷に身を置く華僑なら誰もが身にしみていることですが、国外で一旗揚げるのは実に容易ではありません。個人の意志と能力だけでなく、機会とプラットホームもきわめて重要で、「たとえ機会が自分に背くことはあっても、自分が機会に背くことはしない」というくらいです。起業に当たって、この点はどのようにお考えでしたか。
陳 国外での起業において、個人の意志と能力は言うに及ばず、機会とプラットホームはよりいっそう重要です。日本で成長しはじめたころ、つまり1999年から2002年ですが、永遠に忘れることのできない三つの機会がありました。
一つ目は、栄宝斎展においてある友人の導きを得たことです。中国でもトップクラスの文房四宝の老舗である栄宝斎は、1999年から三年にわたり日本各地で展覧会を開催しました。私は幸いにもその友人の紹介で展覧会に関わることとなり、さらには在日華僑で芸術家の先達と知り合うことができました。このことは私の視野と見識を広めてくれただけでなく、道しるべとなる人を得たことで、キャリアの選択と祖国に報いる夢とを結びつける最もいい形――つまり、文化展覧会を通じた中国文化の伝承と伝播を推し進め、中日両国の交流と相互理解を深めるという自分の務めを見つけることにつながったのです。
二つ目は、日本の岡山県の画商である京昭先生と知り合えたことです。この方は人民解放戦争に参加したこともあり、新中国建設に貢献した日本人です。中国近現代の油絵の収集に努め、日本で「光亜画廊」を開設されました。彼は私のことを畢生の事業を託すべき人物と認めてくださり、千点にも上る油絵のコレクションをきわめて安価で私に譲ることを申し出てくれました。当時の私は大した蓄えもありませんでしたが、まさに有り金をはたいてそれらの作品を購入しました。これにより私の事業に必要な基礎がしっかりと固められたのです。
三つ目は、日本で開かれた「兵馬俑」の大型展覧会に友人の手引きで参加できたことです。会期中、私は展覧会における文化クリエイティブグッズの開発と営業を担当しました。これにより文化展覧会を開くためのすべての工程を経験し、全体のなかでの個々の仕事の要点を理解しました。さらには、当該分野の名だたる人々とも知り合い、将来のために豊かな人脈を築き上げ、ビジネスとしての思考を飛躍的に伸ばすこととなりました。
創業の過程において機会とプラットホームが重要なのは当然ですが、恩人との出会いというのはいっそう重要でしょう。そして、常に恩に報いる気持ちを抱き、それを自身の品格へと昇華する。あわせて一生涯にわたるキャリアの発展をもってその恩に報いる。これこそが最も重要なことだと考えます。
■三、文化を展める
ただ享受するのみにあらずそれを架け橋に
―― 中日両国において御社の共催ないしは主催で開かれた大規模な文化展覧会を個人的にも見たことがあり、その都度、心が満たされていくような感覚を覚えました。陳社長が最も印象に残っている展覧会は何でしょうか。また、陳社長はこうした文化展覧会の役割をどのようにお考えですか。
陳 そうですね、まずは黄山美術社が京昭先生から1000点を超える中国の油絵を購入したのを契機として、2003年に日本の各都市で開催した「中国の世界遺産油絵巡回展」でしょうか。展覧会が終了したあと、私たちは一部の貴重な油絵を祖国に送り返しています。それから2004年に参画した「中国歴代王朝展」巡回展、2005年の大型特別展「Dawn of a Golden Age(走向盛唐)」巡回展では、関連商品の開発と販売に携わりました。また、2006年には「故宮博物院展」巡回展のキュレーションを担当し、2008-9年には黄山美術社が5年の歳月をかけて準備してきた「大三国志展―悠久の大地と人間のロマン」巡回展を、東京、旭川、福岡、名古屋、香川、前橋、神戸の七都市で開催しました。これは延べ101万人もの入場者を集め、日本で開かれた中国文物展覧会の最高記録となりました。これも印象深い展覧会の一つですね、信じられないような話です。
そのほかでは、2016年から17年にかけて東京、京都、新潟、仙台、高崎の五都市で「漢字三千年―漢字の歴史と美」巡回展という大規模な文物展覧会も計画、共催しています。その際は日本の元首相である福田康夫先生が東京から高崎に駆けつけて開幕式に参加してくださいましたし、やはり元首相である鳩山由紀夫先生は東京からわざわざ京都まで来て観覧なさいました。また、駐日大使館はその展覧内容を長期にわたって大使館内の壁に飾り、多くの日本人の方がそれを目にしています。ある日本の友人は、「『大三国志展』は両国の文学における接点として日本人もたいへん喜んでいたし、『漢字三千年』展は両国の文化交流の源を展示したことで、やはり日本人から熱烈な歓迎を受けていた」と評価してくれました。この二つも非常に印象深い展覧会です。もちろん私たちが開催した展覧会はこれらだけには留まりません。
思うに文化展覧会を開催する意義は、単なる作品の展示や、鑑賞によって見識を広めることだけにあるのではありません。その本当の意義というのは毎回の展覧会を開くことそのもの、言い換えれば、中日両国のあいだに文化交流の架け橋をわたすことにあるのです。両国の政治や軍事、あるいは経済について、みな誰しも思うところはあるでしょう。しかし、文化が両国民の心に引き起こす共鳴は、その意義は重大で、影響は深遠なるものがあります。だからこそ私は自分自身のことを「橋渡し」だと考えているのです。
■四、灯をともす
絶えざる輝きにより、人々の視界を照らす
―― 以前、現代の日本における華僑の創業史のなかで、陳建中と黄山美術社の発展の道筋はほとんど真似のできないものだと聞いたことがあります。この20年を振り返って、黄山美術社の輝かしい点はどこにあるとお考えですか。
陳 海外での華僑の起業において重要なのはクリエイティビティ、さらに言うなら、発展するマーケットの需要に応じたクリエイティビティです。正直に申し上げて、文化展覧会を扱うこの仕事はたしかに真似しがたいものではあるでしょう。それというのも、総合的な能力と知識が高い水準で要求されるからです。ですが、黄山美術社の美点をみなさんに知ってもらい、それを共有するのは私としても望むところです。
第一に、私たちは展覧会の回数を重視しています。20年来、単独あるいは共催で大小様々な展覧会を30回ほど開いてきましたが、そのうち準備期間が数か月もしくは数年にわたる大規模なものは20回ほどあります。トラフィックを重視するこの現代社会においては、量をさばくことも非常に重要なことです。
第二に、バラエティに富む展覧会を重視しています。いくつか列挙しますと、「彼は世界の注目を集めた―周恩来総理記念回顧展」に代表される著名人の展覧会、「西方絵画500年―東京富士美術館蔵作品展」巡回展や「見つめあい、見つめあう―東京富士美術館蔵西方肖像画展」巡回展などの美術展、「生命の共鳴―陳世英珠宝展」などの宝飾展示、「匠の心―日本伝統工芸精品展」巡回展などの工芸展、「東瀛的鐘声 Bell Tolls from Japan―井上有一作品回顧展」巡回展に代表される書道展、「アフガニスタン国家博物館珍宝展」巡回展や「地中海から中国へシルクロードの秘宝―平山郁夫シルクロード美術館所蔵品展」巡回展、「琉光溢彩―平山郁夫シルクロード美術館所蔵古代ガラス珍品展」巡回展、「燦然と輝く記憶:メソポタミアからガンダーラまで―東方文明古国冶金術展」巡回展などのようなシルクロードの文物展、そして「日中交流二千年 アジアをつなぐ美と精神」展などです。私たちはインタラクティブな交流に焦点を当てて、いわゆる「Win-Win」を実現してきました。
第三に、広い地域での展覧会の開催を重視しています。この20年、私たちは展覧会の開催地を絶えず開拓してきました。中日両国の大都市のほとんどは網羅したのではないでしょうか。これまでのところ黄山美術社が計画運営に携わった展覧会は、すでに日本の31都市に及び、日本全国47都道府県のすべてで開催するという計画も実現が視野に入ってきました。
第四に、私たちは展覧会を開催した効果の持続性を重視しています。「大三国志展」や「漢字三千年」、「地上の天宮」、「アフガニスタン国家珍宝展」といった展覧会は規模が大きいのみならず、着想も宏大です。シルクロードに関する一連の展覧会などは「一帯一路」の構想に対する理解を深めてくれますし、政府や各レベルの指導者たちも支持を表明するため自ら会場に足を運び、高く評価してくれました。先ほど「大三国志展」が延べ101万人の入場者を記録したと言いましたが、2011年から12年にかけて開かれた「地上の天宮―北京・故宮博物院展」巡回展では、延べ107万人の入場者を得て記録を更新することができました。この20年のあいだに、中日両国の人々のあいだで黄山美術社の影響力はたしかに拡大しました。加えて、両国の主要メディアからも支持と賞賛を得るに至っています。
また、2017年12月15日、国務院新聞弁公室、国務院僑務弁公室、中国人民対外友好協会、中国国家漢語国際推広領導小組弁公室、中国文学芸術界聯合会、中央電視台によって共催された、第六回「中華之光――伝播中華文化年度人物」の表彰式が中央電視台で開かれました。この大規模な公益活動は、中国文化の伝播に多大な貢献を果たした海外の華僑を表彰しようというものです。私はたいへん名誉なことに、2017年の「中華之光―伝播中華文化年度人物」に選ばれました。白先勇、莫言、姚明、葉嘉瑩、ジャッキー・チェン、譚盾、星雲大師の各氏らとともに、グローバルな影響力を持つ「中国の顔」として認められたのです。
■五、心に会得する
身をもって行い、後人を導く
―― 起業の過程においては、華僑の誰しもが艱難辛苦と紆余曲折を経ています。陳社長ご自身が20年のあいだに感得してきたことを教えていただけますか。
陳 黄山美術社の創始者として、倦まずたゆまず夢を追う者として、そしてまた中日両国のあいだに橋を架ける者として、私が心に会得したのは以下のいくつかのことです。
第一に、夢を追い求めることは無尽蔵の力の源だということです。事業は人生と同じで、胸に壮志を抱いていてこそ夢は現実のものとなる、このことを忘れてはいけません。
第二に、偶然のチャンスは大いなる進歩をもたらす有効な方法だということです。黄山美術社は中日国交正常化30周年の節目に設立し、国交正常化50周年の2022年に二十歳を迎えました。すばらしい環境と機運に恵まれ、私たちは急速な進展という軌道に乗ることができたのです。国運に順応してこそ幸運にめぐり逢える、このことを胸に刻むべきでしょう。
第三に、誠実さと粘り強さは、力を集結するための時代を超越した武器だということです。祖国と事業に対する私たちの誠実さと粘り強さは、指導者や専門家、友人たちの胸に強い共鳴を呼び起こしました。そうして強力なサポートを得ることができたのです。ですから、自身の真に善なる心が真の友情を呼び寄せる、これも胸に留めておくべきことです。
第四に、十分な準備ののちに解き放つことが成功の鍵だということです。「大三国志展」にしても、「漢字三千年」や「アフガニスタン国家珍宝展」にしても、これらが成功裏に終わったのは、テーマの正しい選定や作品の精選、あるいは形式や方法の目新しさといったいくつかの重大な要素があったからです。入念な準備こそが成功への秘訣である、これも忘れてはいけません。
第五には、プロフェッショナルの繊細さこそが円滑な運営を保証するということです。運輸、保管、展示、返還、すべての面でどんな小さなミスも許されません。十全を尽くして万一を防ぐ、これも肝に銘じておくべきことです。
第六に、信頼と協力こそが事業発展に最適な雰囲気を作り出すということです。黄山美術社は緻密に調整された戦う集団です。みなが信頼という基礎のもとに協力し合い、これまでに数多くのストーリーを紡いできました。万全の信頼こそ誠実な一致協力を生む、これもまた覚えておくべきことでしょう。
第七に、厳しさを優しさのなかに含ませるのが理にかなっているということです。黄山美術社はこれまでずっとスタッフを家族と考えてきましたし、スタッフも私たちの気持ちをわかってくれた上で不満を漏らさずに頑張ってくれています。つまり、人間性を尊重してこそ人心を得ることができる、これも忘れてはならないことですね。
そして第八に、内外のバランスを取ることが長期的な発展には欠かせない戦略だということです。私たちは自分たちの専門外の分野の事業に対して進んで寄付をします。利他を旨とする企業は社会的に高い評価を得ることができます。そしてそうした評価がさらなる価値を生み、企業の競争力を高めるのです。いわば先を見据えた投資とも言えるでしょう。内外のバランスを取ってこそ望外の喜びを得ることができる、このことも覚えておいて損はありません。
■取材後記
取材終了後、筆者は余韻に浸っていた。筆者自身、黄山美術社20年の発展を見届けてきた一人であると自認している。だからこそ、この企業が日本における華僑社会のなかで唯一無二の存在であることもよくわかっているつもりだ。とはいえ、彼らの発展の歩みと見識は、華僑の一人ひとりが鑑とすべきであろう。難所も鉄壁とひるむなかれ、いまこそ歩み越えゆかん。黄山美術社の新たなる二十年、いまその幕が切って落とされたのである。
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