ヒューマンサウンド代表、「琉球かれん」開発者 米須清二郎氏の インタビュー記事を『人民日報海外版日本月刊』にて公開
生きること蓮華のごとく、衆生とともに楽しむ ――米須清二郎と「琉球かれん」の奇跡の旅
『人民日報海外版日本月刊』は、ヒューマンサウンド代表、「琉球かれん」開発者 米須清二郎氏のインタビュー記事を公開いたしました。
衆生とともに楽しむの「楽」は、「たのしむ」という意味であるが、もとは一種の弦楽器を指す。弦楽器の弦の振動は人体に共鳴を呼び起こし、経絡を結び連ねる気と血の流れを調節し、心身のバランスを整え、ストレスや疼痛を緩解する。その効果は医療にも用いられるほどであり、伝統的な東洋医学や西洋医学においては、たとえば竪琴療法、古箏療法、チベットシンギングボウル(Tibetan Singing Bowls)療法、倍音(Overtone Music)療法などがある。
沖縄、それは東アジアの海域交通の要で、さまざまな文化が融け合う地である。大自然に対する尊敬と畏怖の念は、そこに独特かつ不思議な精神のあり方を植えつけた。そんな地に生まれた弦楽器、それが「琉球かれん」である。「琉球かれん」を作り出した米須清二郎先生は、あらゆる人々を癒やすという理想を掲げ、二十年以上にも及ぶ歳月を費やしてこれを開発したという。
およそ35年前、とある障害者施設で音楽療育をされていた米須先生は、生涯忘れがたい光景を目の当たりにし、ある種の使命感を覚えたという。「当時、私はそこで両腕のない子を見たんです。意のままに動くこともできないのに、その子はがんばって撥を挟み、笑顔を浮かべて楽しそうに太鼓を叩いているんですよ。そうですね、音楽に夢中になって、まるで自分の体の不便さも忘れてしまっているようでした。」米須先生はその姿に大いに触発され、意識するに至った――音楽は聴覚だけで楽しむものではない。自己を表現し、他人から認められるための一つの方法でもある、と。「人は誰でも自分をわかってほしいとか、他人から認められたいとか、そうした願望があると思うんです。そして何より、自分で演奏することの満足感は、ただじっと聴くだけよりも、音楽療法として10倍、あるいは100倍もの効果があると言われています。」
そこでの経験と思いに衝き動かされ、米須先生は障害者でも気軽に演奏できる楽器はないものかと探しはじめた。しかし、長い時間をかけて探したものの、これだという理想的な楽器は見つからなかった。「探しても見つからないなら、自分で作ってしまえと。そこで、どんな人でも演奏する楽しみを感じられる楽器をデザインしたんです。」――「琉球かれん」はこうして生まれたのだった。
「琉球」の二字は、単にこの楽器が生まれた土地や文化的背景を示しているだけでなく、そこに横たわる悠久の歴史と多様な文化をも内包する。そして「かれん」にはより深い寓意がある。泥水のなかから生まれて美しい花を咲かせる蓮は、逆境のなかにあっても汚れなき美しさを失わないことを意味している。米須先生は「琉球かれん」を演奏する一人ひとりが、いかなる困苦にその身を置いていようとも、蓮の花のように自分自身の価値を咲かせてくれることを望んでいるのである。
「琉球かれん」が特別であるのは、音楽の三大要素――リズム、メロディー、ハーモニーのすべてを融合している点にある。米須先生は誇らしげに紹介してくれた。「これほどシンプルで三つの要素を同時に含む楽器は、おそらく世界中を見渡してみてもほとんどありませんよ。『琉球かれん』はそれを成し遂げたのです。」演奏者は楽器上に付された番号に従えば、いとも簡単に対応するメロディーラインを見つけ出すことができ、和音とメロディーをうまく合わせて弾くこともできる。音楽の素養がある人は言うに及ばず、音楽に触れたことさえない初学者であっても、あっという間に楽器の特性を知り、気軽に音楽の魅力や楽しみを実感できるのである。
とりわけ心の琴線に触れたこととして、この楽器は障害者たちにとっても使いやすく考案されているという点が挙げられる。米須先生は力強くおっしゃった。「たとえ重度の脳性麻痺をもつお子さんであっても、棒で叩いてリズムを取るだけで音楽の楽しみを体験できるのです。」その設計思想は簡便性と普遍性に十分配慮されたもので、そのため「琉球かれん」はきわめて包容力があり、この世に生を享けた人々がともに楽しめる楽器なのである。
これまでの20年間において、米須先生は幾度となく「琉球かれん」が人々に感動をもたらし、変化を及ぼすのを見てきた。たとえば、脳梗塞によって右手の機能を失ったある男性患者は、これまで社会的に活躍していたこともあって、自分のなかで発症後の落差を受け入れられず、長らくのあいだ落ち込んでいた。そこで米須先生は、その彼が自暴自棄に陥ることのないように、そしてまた元気を奮い起こしてもらえるようにと考え、「琉球かれん」を勧めてみた。その後、彼が左手だけで沖縄の民謡「てぃんさぐぬ花」を演奏すると、会場は大きな歓声と拍手に包まれ、彼の顔に久しぶりの笑みが浮かんだだけでなく、感動の涙までこぼれ落ちたという。それはつまり、周囲の人々に喜びを与えることができたという満足感と、集団のなかで自分の存在感を再確認できたことの喜びの現れである。彼の心の持ちようが改善したことで、米須先生はいよいよ己の信念を固めるに至った。「『琉球かれん』はただの楽器ではありません。それは人々が胸に秘めた自信と生きる意味を再確認するための一つの手段なのです。」
先天的、あるいは後天的な原因で学校生活になじめない子どもたちは、自分は世界とまったく相容れないといつも感じている。しかし、米須先生と琉球かれん講師の心を尽くして寄り添う指導により、彼らもまた「琉球かれん」を通じて力を得ている。子どもたちが自分を表現する機会をより多く持てるようにと、2023年、当地の警察署に出向いて演奏するものである。温かく、それでいて清らかな調べがクリスマスのムードのなか響きわたり、その場にいたすべての人々の表情に感動の色が浮かんだ。聴衆から盛大な拍手と温かい歓声が送られると、子どもたちの目には褒められたことへの喜びと自信があふれていたという。こうして子どもたちは、自分が存在していることの価値を実感し、自分のしたことが大いに認められたことを理解したのである。
米須先生は「琉球かれん」を用いてある種の特徴をもつ人々と外界との壁を打ち破り、彼らのアイデンティティーと社会とを結ぶ大きな扉を開いた。そうして彼らが自分自身を表現する方法を見つけ出すために手を差しのべ、同時にまた、世界は温かくやさしく彼らを迎え入れてくれるのだと教えたのである。
美しく幸せな暮らし、それは人類が永遠かつ普遍的に追い求めるものであろう。今年の7月、琉球経済戦略研究会の仲介により、米須先生は福建省へ視察に赴き、当地の二胡演奏家と即興で演奏会を開いたという。「事前の打ち合わせや練習はしていませんでしたが、二胡と『琉球かれん』は同じ弦楽器、最後には素晴らしいハーモニーを奏でることができました。二つの楽器はまったく兄弟さながらでしたよ。」こうして成功裏に終わったこのたびの異文化交流によって、米須先生は「琉球かれん」の普及にさらなる期待を込めるに至った。伝え聞くところによると、福建師範大学医学部は「琉球かれん」をリハビリ課程に導入することを検討しているらしい。
もっと多くの人に「琉球かれん」の素晴らしさを知ってもらいたい。目下のところ、米須先生はその普及と利用をいっそう推し進めるため、持てる力のすべてを尽くして講演会や演奏会を開いている。「ただ、いまはボランティアに頼っていますから、これを持続可能な事業モデルへと転換する必要性を感じています。そうしてより多くの有志の方々に加わってもらい、愛情と思いやりを伝えていきたいと考えているのです。」
米須先生の理念と使命感は、日本各地で反響を呼び起こした。いまでは40名近い講師が仲間に加わり、血と心の通ったチームがしだいに形成されつつある。また、米須先生によると、脳科学者・茂木健一郎氏は「琉球かれん」主催の講演会で「琉球かれん」に多大な期待を寄せた。「琉球かれん」は実践というコラボレーションによって、音楽療法の治癒効果、とりわけ神経結合の促進や感情の調節、認知機能の向上などにおける潜在的な効果を探っているという。そして、「琉球かれん」の可能性に多くの国会議員も賛同し、教育や福祉の現場の紹介があり、そこでの多くの活動が実を結び、文科省が学校教育で取り入れても差し支えないと考えを示している。
2010年、「琉球かれん」は日本国内で特許を取得し、その普及と応用に向けてしっかりと足場を固めただけでなく、さらに2019年には、沖縄を代表して「にっぽんの宝物(UNDISCOVERED GEMS OF JAPAN)」に選ばれた。この栄誉は、国内外における「琉球かれん」の知名度を向上させただけでなく、音楽療法、社会の共生、ひいては文化の継承といった各方面におけるその貢献について、よりいっそう各界の注目を集めることにつながるであろう。
米須清二郎と「琉球かれん」の奇跡の旅路は、これからも続いてゆく……
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