百年続く企業を目指して――ナンセイスチール 取締役社長・劉国利氏へのインタビュー記事を 「人民日報海外版日本月刊」にて公開
株式会社ナンセイスチール 取締役社長・劉国利氏のインタビュー記事を「人民日報海外版日本月刊」にて公開します。
24時間年中無休のプロフェッショナリズムで環境資源産業界において知らない人などいない株式会社ナンセイ(以下、ナンセイ)の業務は、日本に留まらず東南アジア全域に及んでいる。身近なところでは、東急、阪急、西武、大丸といった大型百貨店も、店舗の解体に当たっては迷うことなくナンセイに依頼するほどである。
金属のリサイクル事業はナンセイの成長を絶えず推し進めてきた三つの原動力のうちの一つであり、同時に、業務のなかで最も大きなウェートを占めてきた。そして2020年、金属リサイクル事業部は、株式会社ナンセイスチールというグループ企業の一つとして新たに生まれ変わった。その取締役社長の座に着いたのが、ナンセイの執行役員にして、福建省福州市の長楽区から日本へ渡ってきた劉国利氏である。
先日、本誌は劉国利氏にインタビューをおこない、日本へ来たばかりの下積み時代からリサイクル業界の巨頭に成り上がっていくまでの数奇な経歴に耳を傾けた。
■沖縄の社長と福建の仲間―情は金よりも堅し
人々はよく「情は金よりも堅し」という言葉で感情の揺るぎないことを形容する。それというのも、金属は何度加工されても本来の属性を失わないという特徴を持っているからだ。この言葉は、ナンセイの社長である稲福誠氏、およびその右腕であるナンセイスチールの取締役社長である劉国利氏に見事に当てはまる。真の黄金はいくら焼かれても変質しない――この二人こそ幾度も試練をくぐり抜けてきた真の黄金である。
劉国利氏は28年前にナンセイに入社した。その責任感の強さと積極果敢な性格によって、しだいに従業員のなかで頭角を現し、研修生やパートを含む二百名以上の中国人同胞たちが彼を信頼し、彼を慕うようになっていった。
しかし、ほどなくしてナンセイは経営困難に陥り、9,000万円もの給与支払いを滞らせた。二百名以上の中国人従業員が抱いていた、一家を成して経済的に自立するという希望は風前の灯火となった。この危難の時にあって、上原(現ナンセイ常務取締役)という一人の日本人社員が立ち上がった。上原氏は自身が貯蓄していた250万円を彼らの給与支払いに充てたのである。とはいえ、いくら上原氏がすべてを擲ったとしても、200名以上いる中国人従業員の給与という意味では焼け石に水であった。
むろん問題の解決には至らなかったが、この上原氏の行動が劉国利の心を動かした。社員が喜んですべてを捧げる、そんな魅力的な会社がいったいどこにあるだろうか。この会社こそ、ここの創始者こそ、自分も信を置くに値する。
その後しばらくして給与は支払われたが、その資金は実はきわめて高い利率で金融業者から借り入れたものであったと、劉国利氏はのちに知る。こうして危機的な状況がひとまず回避されると、劉国利氏は自分を信じてくれる同胞たちを落ち着かせ、創業者の稲福誠および上原両氏とともに、全精力をナンセイの業務拡大に傾けた。とはいえ、最も状況が悪かったときには、劉国利氏は稲福誠氏に従って半月も公園で野宿をしていたという。
■ナンセイ発展の鍵は中国人技能実習生にあり
1989年に創業したナンセイは、三十年以上にわたる試練の時を乗り越えて、東京に本社を、千葉、仙台、福岡、岡山、大阪、名古屋、そして沖縄に支社や十数もの工場を擁する企業へと成長した。そして、廃棄物処理から金属のリサイクル、さらには再生産までを一貫しておこなうという総合商社になったのである。ナンセイの稲福誠社長はインタビューのなかで、すべては劉国利の効果的な経営手腕と中国人技能実習生のサポートの賜物であると述べた。
ところで、海を隔てて向かい合う福建と沖縄には600年という交流の歴史がある。早くも明の時代には、「久米三十六姓」と呼ばれる人々が当時の沖縄に渡ってきた。そして稲福社長は沖縄、劉国利社長は福建の出身である。両地に生まれた二人が困苦をともにしたことで、その後のビジネスの手法や開発ルート、あるいは経営モデルなどに対して、いつの間にか暗黙のうちに共通の認識を抱くようになっていた。
技能自習生制度の所期の目的は、日本の労働力不足という問題を解決すると同時に、発展途上国に対して知識と技術をもたらすことであった。しかし、実際の制度運営に当たってはあちこちから数多くの不満の声が上がっている。劉国利は中国人技能実習生の待遇改善や明るい未来のために、あらゆる面で最大の努力を惜しまなかった。その結果、ナンセイで相当数を占める沖縄人と中国人の従業員の待遇は一様である。彼らは一致団結して真摯に仕事に取り組むことで、沖縄と中国という千古の友情をいまも大切に育んでいるのである。
稲福社長はいつも社内で技能実習生のことを、敬愛の念を込めて「○○さん」と呼ぶ。それというのも中国人は自尊心が強いこと、情を重んじること、心からの交わりを好むことを劉国利氏に教えられたからだという。二人のあいだには何事においてもコンセンサスがあり、昇給や福利の改善を進めるときは、日本人従業員のみならず、必ず中国人の従業員にも同様の待遇をする。
また、ナンセイグループで勤めた技能実習生が帰国する際は、それが誰であれ、稲福社長が自ら盛大な歓送会を開く。明るい未来を約束する十分な俸給だけでなく、ナンセイからの感謝状と、三年間を通して得た知識、技術、自信、そして温かな感動を持って帰ってもらうのである。
一般的に、日本に来た技能実習生の給料は20万円程度であるが、ナンセイではその倍近くを出している。いまやナンセイの名は良心的な企業という代名詞として広まっており、河南省や山東省ではナンセイからの募集があると、多くの人々が熱心に応募してくる。
そういった話を聞いているうちに、記者は2020年にナンセイに関する記事を発表したことを思い出した。そしてその記事には、かつてナンセイで技能実習生として過ごした人々から多くの熱いコメントが寄せられた。「私は2014年度です!」「私は河南から。2017年度!」「ナンセイには一生感謝しています!」そんな短いコメントには、ナンセイで勤めたことに対する誇りが感じられる。「大げさではなく、肌着以外はすべて会社が支給してくれた!」ナンセイは技能実習生を迎えてもう19年になる。これらのコメントからは、その間、すべての実習生たちが任期を終えて帰国するまで、等しく心温まる待遇を受けてきたことがわかる。
「大切なのは、企業のリーダーとして中国人従業員を心から信頼し、現場の判断を彼らに委ね、またその決定を心から支持することです」。「中国人技能実習生たちに思う存分その力を発揮してもらうこと、これこそがナンセイの強みであり、成功の鍵と言えるでしょう」。つまりは、義理と人情を重んじる中国人が苦難に満ちたナンセイの草創期を支え、知恵と勇気を備えた中国人が破竹の勢いでナンセイの発展期を推し進め、遠大な志を抱いた中国人がナンセイを百年続く業界のレジェンドに押し上げようとしているのである。
優良企業として認められているナンセイでは、中国から来た90人の技能実習生と200人以上からなる「特定技能一号」の資格を持った従業員が、ナンセイ前進の原動力として籍を置いている。稲福社長は中国人技能実習生と中国人従業員に対して、心から感謝し、全幅の信頼を置いている。だからこそ、社長の故郷である首里城の修復に5,000万円の寄付をしよう、あるいは中国雲南省の貧困家庭に育った児童たちのために就学援助をしよう、そういった劉国利氏の提案に対しても、社長は二つ返事で賛同を示すのである。むろん、これは本稿と関係のないまた別の美談であるが……
■中国人の創意工夫がビジネスシーンを切り開く
「先んずれば人を制す、決断力は中国人の長所です」。稲福社長は中国人従業員の人柄を高く評価しており、決定権を劉国利氏に委ねた。ナンセイとともに幾たびもの雨風をしのいできた劉国利氏は、治に居て乱を忘れず、つまりどんなときでも決して備えを怠らないという態度でいつも経営に当たっていた。会社の業務が高度に成長しているときには、彼は「もう少し穏やかに発展していくべきだ。成長のスピードが度を超えると足下がおろそかになってしまう。すぐれた技術者こそが大切だ」と考えた。
何度かの危地を乗り越えてきた新興企業として、ナンセイは創業数十年、あるいは百年以上にも及ぶ古参のリサイクル企業と争わねばならない。そこで頼みとしたのが中国の知恵である。十数年前、劉国利氏はナンセイの地歩を着実に日本各地へと広めていったが、その際には中国人としての知恵を働かせて障壁を取り除いた。そうして金属リサイクルのネットワーク拠点を至る所に形成し、しだいに他社と戦う準備を整えていった。数十年の歳月をかけて資源ネットワークの構築を進めたことにより、現場の金属スクラップをしっかりと把握することが可能になったのである。
劉国利氏は人生のステップを何度か越えてきた。その一段一段の高さは常人の比ではなかったが、それでもその歩みは穏当かつ着実なものだった。日本にあっては経営努力を惜しまず、進んで納税し、法律を遵守して、積極的に社会的責任を引き受けた。また祖国に対しては、より多くの同胞が良好な暮らしを送れるように待遇の改善に努め、起業のためのスキルを教えるとともに、彼らの存在を尊重し、彼らを慈しんだ。劉国利氏はインタビューを通じて、ナンセイの発展には中国人が与って力あったこと、また、より多くの海外華僑が金属リサイクルの利点を理解し、ナンセイとWin-Winの協力関係を構築するよう望んでいることを繰り返し強調したが、ナンセイの発展に大きく寄与した自分のことについてはほとんど触れることがなかった。劉国利氏にしてみれば、近年におけるナンセイの飛躍的な発展は、祖国の国力の向上や中日間の経済貿易のさらなる深化によるものであり、それは時代がナンセイに発展のチャンスを与えたということなのである。「至人にわたくし無し」、これもまた中国の知恵にほかならない。
■華僑の故郷長楽を拠点に鉄鋼のプラットホームを
初めの数年、ナンセイは貿易を扱う日本の大企業に輸出業務を委託していた。当時、日本の鋼鉄材料は台湾と韓国に大量に輸出されていたが、いつまでも受け身でいることをよしとしない劉国利氏は、率先して天下を切り開くための耕牛となり、単身東南アジアに乗り込んで輸出ルートを確立した。
劉国利氏は華僑の故郷として有名な長楽の出身である。長楽には70万人以上が常時居住しているが、その町から50万を超える人々が世界各地に散在し、目には見えない郷土の絆によって固く結ばれている。また、長楽は鉄鋼の町としても有名で、「長楽系」の鋼材は民営鉄鋼業の八割のシェアを占め、世界的にも名が通っている。こうした利点によって、劉国利氏は長楽にいるベトナム人ビジネスマンを皮切りに、ベトナム、マレーシア、インドネシア、バングラデシュなどの市場を順調に開拓し、20以上のリサイクル企業と安定的なパートナーシップを結ぶに至った。
ナンセイの納税額は七億円に上り、三菱UFJ銀行の重要な取引先でもある。海外の顧客と交易するときは L/C(信用状)による決済が採用されている。その決済はFOB(Free On Board)あるいはCIF(Cost, Insurance and Freight)に依拠しており、取引中は銀行が支払いの約束をすることで、バイヤーもサプライヤーも資金繰りの負担を案ずる必要はない。
コロナウイルスの流行、エネルギーと食糧の高騰は、リサイクル資源の価格高騰をも引き起こした。以来、金属リサイクル事業はずっと強気の展開が続いている。ナンセイも毎年60から70万トンにもなる二次加工金属を輸出しているので、劉国利は環境にやさしいエネルギーがもたらすこの利益を、製錬技術を持つ東南アジアの中国企業と分け合いたいと切に願っている。
2020年に本誌が取材したとき、ナンセイの年商は初めて100億円の大台に乗った。当時にあってはこれでも非常にインパクトのある数字だと言えよう。ところが思いもかけないことに、その後の三年間、ナンセイは年100億円以上のペースで飛躍的に成長し、いまでは年商480億円以上、しかも年商1,000億円という目標に向かってなお着実に歩みを進めているのである。ナンセイは必ず百年続く企業になる、劉国利氏はそう信じて疑わない。
インタビューの締めくくりに、劉国利氏は遠大な構想を披露してくれた。次なるステップは、満期で帰国した技能実習生たちにナンセイが出資して事業を開放し、ネットワークをいっそう広げていくと同時に、故郷長楽の鉄鋼における強みを活かして、安定的かつ強大な金属リサイクル産業チェーンを構築するのだという。
■取材後記
9,000万円の給与未払いに苦しんでいた企業が、年商480億円を超える企業へと成長した。創業者を含めてたった四人の日本人従業員しかいなかった企業が、300人の社員を擁する企業へと成長した。生き残りに必死だった企業が、大いに利益を上げて百年を見据える強くたくましい企業へと成長した。劉国利氏は確かな足跡を刻み続け、華僑が持つ不屈の精神を確乎たるものとし、福建と沖縄、中国と日本、それぞれの地を結ぶ友情に新たな一ページを書き足した。劉国利氏の歩みは、ナンセイの名をよりいっそう輝かせることであろう。
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