ZERO商事株式会社 代表取締役社長・陳海氏のインタビュー記...

ZERO商事株式会社 代表取締役社長・陳海氏のインタビュー記事を 「人民日報海外版日本月刊」にて公開

人材育成による持続的な成長

ZERO商事株式会社 代表取締役社長・陳海氏のインタビュー記事を「人民日報海外版日本月刊」にて公開します。


川の流れのように車が行き交う阪神高速道路――それは大阪と神戸という関西の二大経済圏をつなぐ交通の命脈であり、ZERO商事株式会社はすぐその傍にある。人材派遣や職業紹介、特定技能を通じて外国人の総合人材サービスに特化し、日本語教育機関や起業インキュベーション、不動産から貿易と、まさにゼロから立ち上がった同社は、わずか8年で人材総合企業へと急成長した。その成長要因の分析からは、中国、日本、ベトナムという三国のリソースを効率的かつバランスよく用い、人材育成を主体とすることで実に高い効率で管理していることが分かる。


先日、本誌記者は兵庫県尼崎市にあるZERO商事本社ビルを訪ね、ZERO商事株式会社の陳海社長とともに、人材を活かす人間力と多角的な成功を得るための道を探った。


陳海氏(1)


■日本企業と外国人人材の双方から預かる信頼

陳海氏は、目を見張るような学歴があるわけではない。2002年の日本留学当時、日本語が思うように話せなかったために来日から半年間は仕事を求めても門前払いの日々が続いた。幸いなことに先輩華僑の助けを得て仕事に就くことはできたが、この時に感じた困惑と温もりを忘れぬよう胸に刻み込んだのだという。それからは、自分と同じように故郷の福建から日本に来て頑張りたいという人たちのためには率先して仕事を紹介し、バスの乗り方がわからない人ためには空港まで数時間かけて送迎することも珍しくなかった。


そうしたことを長く続けているうちに、陳海氏は日本企業と中国人労働者の双方から請われるようになっていった。携帯電話の電源をオフにすることはなく、困ったことがあればすぐに双方のコミュニケーションを図り、問題を未然に防ぐことに力を注ぎ、いかなるときも相手の立場に立った視点で、多いときには800人を超える中国人たちを支援していた。その責任感の強さはまさに季布(きふ)の一諾(いちだく)といえよう。日本企業の経営者たちからの信頼も厚く、異口同音に「陳海氏がいなければ何も始まらない。」と言う。


陳海氏が勤めていた日本企業の社長は、陳海氏に大学に入学して知見を深めてはどうかと提案した。学費は会社が負担し、時間の自由も保証するという手厚い期待を受けたことで、陳海氏は人材そのものの価値を意識するようになった。また同時に、誠意ある対応こそが最良の人材管理であることに思いを至らせた。


2006年、その企業は中国に合弁会社を設立した。陳海氏もまた全身全霊を傾けて学問に打ち込み、紐をいっぱいに巻きつけた駒のごとく、大学と日本の本社、中国の合弁会社との間を目まぐるしく飛び回った。この間、陳海氏は象牙の塔で学び得た理論を企業マネジメントに落とし込む実践を経て、そこで現れる課題をキャンパスに持ち帰り自身の研究を深めた。真理を求め問い続ける姿勢は教授陣をもうならせ、「私が教えたのは理論と知識であって、実践のための参考にはなるだろうが、君のすべての質問には答えかねるよ。」と言われたという。


「社会と歴史に淘汰されないためには、ひたすら学び続けること」専門的な基盤を持ち合わせていなかった陳海氏ではあったが、理論の昇華と実践の総括を同時に進めることにより在日外国人たちの間では、言わば、無冠の王となっていったのである。2014年に社長の退任を迎えたことで陳海氏はここが独立の契機であると判断した。こうしてZERO商事株式会社は、熟知した外国人人材の派遣サービスを足がかりとして産声を上げ、そのサービスは好評を博すこととなっていく。


陳海氏(2)


■融け合い、分かち合い、ともに歩み、共存共栄を

21世紀は2度目の10年を迎えた。中国は北京オリンピックと上海万博を成功裡に終え、中国社会の現代化は新たな歴史として刻まれつつある。海外に居住する中国人たちにとっても、肉体だけを資本にして汗水を垂らしてお金を稼ぐ時代は終わりを告げた。日本における技能実習生の顔ぶれも中国からベトナムなど東南アジア諸国に移りはじめた。


そうしたマーケットの機微を捉えた陳海氏は、2012年にベトナム人人材というリソースに目を向けた。以来、10年をかけてベトナムの社会と文化を研究し、ベトナムにある63省や直轄市を調査して回った。そうした基礎があるからこそ、ZERO商事株式会社は業務の力点を速やかにベトナム人の人材育成にシフトすることができたのである。


「衣食足りて礼節を知る」人は安定した仕事があって、はじめて落ち着いた暮らしを手に入れる。海を越えて異国の地へ渡った者は、それを切望し、同時にそれは、遠くで見守っている家族たちの願いでもある。自分ならどう感じるのか、常に相手の立場を思いやる気持ちを忘れず、外国人人材の不安に寄り添っていく。それこそ陳海氏が最も心がけたことであった。国籍は異なるが海外から日本に渡った者同士である。陳海氏の揺らがぬ姿勢が外国人人材たちの信を集め続けるのではないだろうか。


近年、日本政府は「人材育成」と「人材確保」のため、出入国在留管理施策を調整している。だが陳海氏は、日本政府のそうした動きをする以前から提唱していた――外国人人材に対する来日前の基礎教育をより重視し、来日前後の教育に連動性を持たせ、異国での生活環境に速やかに順応できる環境を整えるべきである、と。


この実践のため陳海氏は、阪神高速道路の傍に13階建ての自社ビルを取得し、そこに400人の学生が収容できる日本語学校の設立計画を立案した。外国人人材が日本社会にうまく溶け込み、その優れた能力を発揮できるように教育プログラムを構成したのである。


この試みは、誰にも優しい多様な社会づくりに等しい。最先端をゆく人のもとには多くのリソースが集まり、社会の関心を引き起こす。では、その基礎をなす人材の活路はどこにあるのだろうか。世界が調和の取れた発展と穏やかな歩みを進めるためには、技術の進歩を推し進める精鋭だけでなく、必ずや平凡な一人ひとりの力が必要となる。そしてそれは決して無視できない大きな数であり、その未来はそのままその国の発展や社会の安定に影響を及ぼす。そうした人材一人ひとりの活路は、陳海氏だけではなくベトナム社会が直面している課題でもあると言える。


2022年1月に正式に発効した地域的な包括的経済連携(RCEP)協定によって、中国・日本・ベトナムを含んだ参加国には経済面での開放と融合という新たな機会が生まれ、これによりZERO商事株式会社はその他の国々の人材リソースを将来にわたって開発することが可能となったのである。大海の子が世界に思いを馳せる、陳海氏の視線の先にあるのは中国や日本、ベトナムだけに留まらない。「融け合い、分かち合い、ともに歩み、共存共栄を」、これこそがZERO商事株式会社の経営理念である。


「人材は使えばそれで終わりという道具ではありません。『人』と交わる私たちは、一人ひとりの未来まで考える必要があるのです」。そう語る陳海氏は、取材中も幾度となく部下や関係者たちの理解とサポートに対して繰り返しの謝意を口にしていた。


ZERO商事本社ビル


■支援体制向上のために新たな境地を開拓する

まさに十数年前の在日華僑が直面したように、現在のベトナム人たちも保証人がいないため日本での住居探しに頭を悩ませている。そうした人たちが陳海氏を頼り、雇用主として保証人になってくれるよう願い出てきたのである。手を差し伸べるとしても、その人たちの背後にはさらに多くの人たちがいるのは明らかであり、何か問題が起これば企業として連帯責任は免れない。義を見て為さざるは勇無きなり、彼らが直面しているのはかつて自身が経てきた道でもあった。精密な検証と市場の調査をくり返した結果、在日外国人たちの住居を提供するために宅地建物取引業免許を取得し、新事業として不動産業を開始した。


また、日本社会における行政書士のほとんどは日本人であり、残念ながら外国人の考え方に寄り添うことは難しい。そうした在日外国人の実際の境遇に思いを馳せた陳海氏は、行政書士事務所と連携し、半ば公共のサービスとして在日外国人たちの支援として在留資格の申請業務を展開している。


2018年、ZERO商事株式会社は第1回の「テト(ベトナム春節祭)」を挙行した。このイベントには4千人を超える人々が参加し、幸先のよいスタートとなった。翌年には一般社団法人日本ベトナム商会の設立を主導し、在日ベトナム人たちにとって寄る辺となる「家」を作り上げた。今年開催した第3回目となる「テト(ベトナム春節祭)」では8千人以上もの来場者があり、尼崎市長や在大阪ベトナム総領事の出席と挨拶も賜った。さらにその後、陳海氏は大阪で初めて開催された「ベトナムフェスティバル(大阪)2023」に特別ゲストとして招かれ、在日ベトナム人コミュニティへの長きにわたるサポートに対して感謝の意が表明された。


ベトナムフェスティバル(大阪)2023


■海外華僑の新たなイメージとパワーを発信する

近代中国は貧困に喘ぎ、国力も弱い状態が続いていた。そのため、海外における中華文明の影響力や魅力は、本来備えている厚みや深み、広さと比して軽視されてきたと言ってもよい。中国を出て海外に住む華僑ほど、そのことを身に沁みて強く感じているであろう。かつて日本の食卓を賑わせ、華僑たちの郷愁を慰めてくれた中国物産店は、「低品質な安物ばかり」というレッテルを貼られている。


中国は広大な国土、多様な文化、そして豊富な物産を有している。数多ある素晴らしい物産は中華文明の重要な構成要素であり、海外における中華物産店はその魅力を生き生きと伝える展示台と言える。その海外での発信力を強化するため、陳海氏は新たなビジネスモデルを模索している。それは、規格化されたブランド管理とスマートテクノロジーによる在庫管理、さらには現代的な営業管理を併用し、伝統的な中国物産店をコンビニエンスストアとして生まれ変わらせることで、中国の豊かな物産を日本社会に広めていこうというものである。それを契機として中国地方都市からの輸出を拡大させ、グローバル規模でのサイクル開発を進めれば、中国ブランドを世界に向けて発信することができる。


全世界の関心は、世界第二位の経済大国である中国にますます注がれている。世界の至る所に住む華僑、その人的戦力を結集して祖国と華僑社会の発展に寄与することは、この時代にあって中華文明の子孫一人ひとりに課された歴史的な使命と言っても過言ではない。


陳海氏らが発起人となって設立を目指す一般社団法人「零和国際商業創新会」は、2023年10月に正式な発足を計画している。設立主旨は、海外に住む華僑たちの資金、情報、人材を扱うプラットフォームの構築である。「零和」は日本の年号である「令和」と同音である。そこには「令和」の時代に活躍する若い華僑たちが、団結して新たな発展のチャンスを切り拓くという意味も込められている。


ところで陳海氏は、現代中国の著名な画家で作家でもある呉 歓氏と、長年にわたって昵懇の間柄であるという。そしてこの呉歓氏は、中国現代芸術の泰斗呉祖光と高名な舞台女優新鳳霞とを親に持つ。文化芸術事業の発展、無形文化遺産の保護、中日文化交流の促進を同じく願う心が、陳海氏と呉歓氏の二人を結びつけたのだそうだ。今回の取材より少し前、「呉歓中日文化交流匯」がZERO商事本社ビルに置かれることが決まり、陳海氏は特に会長として迎えられた。同会が主催する「無形文化財文化祭」や「現代中華祭」は、リアルな中華文明の姿を立体的に見せてくれるだけでなく、陳海氏と尼崎市が共同で推し進める、多様で住みよい町づくりのための具体的な施策の一つでもある。


陳海氏(3)


■取材後記

「自分たちが得たものを社会に還元する、そのバトンの役割をきちんと果たすことでしょうか」。陳海氏はそんな飾らない言葉で、ZERO商事株式会社の歩みと初心を忘れない姿勢を総括してくれた。


その精神は、国籍や民族という垣根を越えて、外国人人材たちの社会的価値を引き出していく。そんな陳海氏は一人の企業家というよりも、むしろ実践重視の知行合一を説く社会学者であると評することがふさわしいのかもしれない。

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