新快速50周年記念 ドキュメンタリームービー 「まちと、みらいと、みなさんと。新快速50周年」を Web限定公開 ~ 2020年10月1日より特設サイトにて公開スタート ~
西日本旅客鉄道株式会社は、新快速50周年を記念してドキュメンタリームービー「まちと、みらいと、みなさんと。新快速50周年」を2020年10月1日よりWeb限定で公開いたします。
新快速は、1970年(昭和45年)10月1日に当時の日本国有鉄道大阪鉄道管理局によって、京都~西明石駅間で運行を開始しました。当初は、大阪万博向けに「万博号」として運行していた113系を使い、現在の225系までの車両6代にわたって関西の主軸となる列車として地域を支えてきました。
その歴史は、関西の発展の歴史でもあり、通勤圏や観光圏の拡大、沿線のまちの発展と共に歩んでまいりました。ウィズコロナ・アフターコロナの時代においても、新快速によって皆様の日常を支え続けたい、移動することによって体験できるその価値を守り続けたい、との願いを込めてドキュメンタリームービー「まちと、みらいと、みなさんと。新快速50周年」を制作いたしました。
■ドキュメンタリームービー「まちと、みらいと、みなさんと。新快速50周年」概要
お客様と新快速のエピソードをドキュメンタリーとして制作しました。長年皆さまと一緒に関西圏を駆け抜けてきた列車なだけに、新快速への様々な思いやエピソードをお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか?そういった方々に少しでも共感を抱いていただければと考え、今回の制作に至りました。移動してリアルで体験することで初めて得られる価値もあると思います。本ムービーを通してお客様それぞれが持たれているであろう“変わらない価値”といったものを感じ取っていただければと考えています。
今回ムービーで紹介するのは、8歳の女の子、紅愛(くれあ)ちゃんのエピソード。毎年夏休みに明石のおじいちゃんおばあちゃんに会いに行く孫の紅愛ちゃんですが、今年は行くことができませんでした。そこで初秋に新快速を使って明石の海へ向かいます。しかしコロナ禍の折、おじいちゃんおばあちゃんのことを気づかって近くから電話をすることに。実際に会うことはできませんでしたが、思い出の場所まで移動することで紅愛ちゃんやおじいちゃんおばあちゃんほか、家族みんながそれぞれ前向きな感情を抱く様子をカメラに収めています。実際に新快速の利用者である紅愛ちゃんたち家族のリアルな表情をご覧ください。
■ドキュメンタリームービー「まちと、みらいと、みなさんと。新快速50周年」
公開日 : 2020年10月1日 WEBにて限定公開
アドレス: JRおでかけネット内「新快速50周年」特設サイト
https://www.jr-odekake.net/railroad/shinkaisoku_50th/
内容 : 1970年の大阪万博から関西をつないできた新快速。
50年間乗せてきた「思い」を表現するために、
新快速をご利用いただくお客様ご一家の様子を
ドキュメンタリーで制作しました。
<見どころ>
本ムービーは、紅愛(くれあ)ちゃん、妹さん、お父さん、お母さんの4人家族の小旅行に同行させていただきながら撮影しました。はじめは久しぶりのお出かけに少し緊張していた紅愛ちゃんも、列車に乗っているうちに慣れてきたのか、姉妹揃って窓の外を夢中で見つめて、「海!」と指差したり、明石海峡大橋に「おっきい!」と驚いたり。久しぶりの列車の旅に、さまざまな表情を見せてくれました。
ムービーの後半では、海で遊ぶ紅愛ちゃんに同行。波打ち際ではしゃぐ紅愛ちゃんたちを映しながらも、制作陣の間には、少し緊張した空気が漂っていました。実は、今年は会わないと決めていたおじいさまとおばあさまも、紅愛ちゃんたちの姿を見守りにこっそり海岸まで来られていたのです。砂浜から少し離れたところから孫たちを見守るおじいさまおばあさまの、やさしくも少し切なそうな眼差し。8歳の紅愛ちゃんの1日を通して見えてくる、新快速が運んできた様々な価値は、制作スタッフの胸にも迫るものがありました。
ムービーの終盤では、関西をつないできた新快速の歴代の車両が次々と。ブルーライナーやシティライナーと呼ばれていた頃の姿など、懐かしいものから最新のものまで、思い出とともにご注目ください。
見どころシーン
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<撮影時のエピソード>
撮影当日、紅愛ちゃん一家が明石の海に来ることをおじいさまおばあさまに話すと、非常に驚かれると同時に喜んでおられました。お二人は、海岸からは見えない位置から紅愛ちゃん一家の様子を見守られておられる間も、「あれがそう(紅愛ちゃん一家)やな」「身長が伸びた」など、うれしそうに話されていました。ご家族の誰もが、「会わないと決めたけれど、やっぱり会いたい」と口をそろえておっしゃっていたのが印象的でした。
<列車の旅を終えての感想(紅愛ちゃんより)>
家族みんなでのお出かけは久しぶりでした。いちばん楽しかったのは、いつもよりおっきい貝が拾えたこと。だから、おじいちゃんとおばあちゃんに見せたかった。持って帰って写メを撮って、こんなん拾ったぞ!って送ります。
■新快速50年の歩み
新快速は、1970年10月1日、その年に開催された大阪万博の会場アクセス列車「万博号」として活躍した113系を用いて、運転を開始しました。現在では、東は福井県の敦賀、西は兵庫県の播州赤穂・上郡までの幅広いエリアをカバーしています。朝夕通勤時間帯には1時間あたり最大8本、日中時間帯には1時間あたり4本の高頻度で運転しており、安全性・速達性・利便性を有した、近畿エリアの中心的存在となっています。近年では、Aシートを導入(2019年)するなど、快適性・安定性の実現にも取り組んでいます。
年代 :1970年代
主な出来事 :1970年 大阪万博
1972年 山陽新幹線岡山まで開業
新快速の歴史:1970年 113系車両で京都~西明石駅間走行開始
1971年 京都~草津駅間走行延長
1972年 153系「ブルーライナー」投入開始、
姫路駅まで走行延長
1974年 湖西線にも運用拡大、京都~堅田駅間走行延長
年代 :1980年代
主な出来事 :1981年 ポートピア'81
1987年 国鉄分割民営化
1989年 平成へ改元
新快速の歴史:1980年 117系「シティーライナー」投入開始
1986年 列車線・外側線へ運転線路を移動、
彦根駅まで走行延長
1988年 米原駅まで走行延長
1989年 JR民営化後、221系車両投入開始
年代 :1990年代
主な出来事 :1990年 国際花と緑の博覧会
1992年 のぞみ運行開始
1994年 関西国際空港開港
1995年 阪神淡路大震災
新快速の歴史:1991年 長浜駅まで走行延長
1992年 終日8両編成以上で運転
1995年 223系車両投入開始
年代 :2000年代
主な出来事 :2001年 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン開園
2005年 福知山線列車事故
2006年 神戸空港開港
新快速の歴史:2005年 より安全な運行ダイヤへ見直し
2006年 敦賀駅まで走行延長
年代 :2010年代
主な出来事 :2011年 東日本大震災
2019年 令和へ改元
G20大阪サミット
新快速の歴史:2010年 225系車両投入開始
2017年 全12両化
2019年 Aシート導入
■車両の変遷
初代113系
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2代目153系
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3代目117系
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4代目221系
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現在223系
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現在225系
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■アーバンネットワークを支えたJR西日本が誇る基軸列車
近畿統括本部 輸送課 課長 浅井宏樹(あさい ひろき)
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輸送担当として幅広い分野を担当する浅井。特に新快速に関しては「人」・「設備」・「プラン」などの調整事にくわえて教育も担当。
<新快速登場の背景>
1970年に京都と西明石間で運転を開始した新快速。導入当時、並走する私鉄との競争に陰りが見えるなか、当時、特急・急行が主流で優等料金が必要だったところに、優等料金不要の「速達系」列車として登場しました。長年にわたって運転区間の拡大、新製車両の投入を行ってきたことによって、結果としてご利用いただける区間は大きく伸びました。平日には地方から都心まで通勤通学を可能にし、土日祝日には逆に都心から地方への遠方観光を可能にしました。
<新快速は「基軸列車」>
新快速の位置付けを一言でいうと、「基軸列車」となります。JR京都線やJR神戸線などを走るのですが、色んな線区と結節しています。それだけなら単なる主要列車となりますが、実は大阪駅発の時刻は、00分、15分、30分、45分。これは、最初に新快速の大阪駅発の時刻を決めて、それに見合う快速・普通の接続を決めていることを意味しています。さらに、その間を特急が走るという形態をとっています。例えば特急「はるか」であれば、大阪環状線・阪和線・関西空港線などにも影響します。このように、全ては新快速が軸となってダイヤが決められているのです。ちなみに、この方針は国鉄時代の1972年に決められました。新快速運行開始すぐにこの方針となり、それ以降今までずっと関西圏の「基軸」として役割を担ってきたわけです。
<新快速が変えた関西圏の暮らし>
関西圏の経済の成長にどのくらい貢献できたかは分かりませんが、区間延長によって通勤圏拡大・広域観光の実現には貢献できたのではないかと思っています。高性能な車両をいの一番に投入(新しい車両は基本的には新快速に投入される)してきたことで、区間を延長しても利便性を損なうことなく「直通性」「速達性」を実現してきました。播州赤穂・長浜など、遠かった存在が近くなる、これは関西圏の暮らしにとっても大きなものとなったと自負しています。一方で、インバウンドの方々にも新快速は貢献していると捉えています。京都・姫路観光の外国のお客様も増えていると実感しています。彼らは、関空→京都→難波→関空や、関空→難波→京都→関空といった利用ラインがメインで、また、成田→東京→富士山→京都→難波→関空というラインをとる人も多いようです。コロナの影響でインバウンドは減少しましたが、インバウンド需要の増加にあわせて増発するなど、外国からのお客様の移動にも貢献してきたと自負しております。
<これまでの思い、これからの思い>
運転士になってまもなくのころ、130km/h運転を実現した223系を運転する機会がありました。相当な責任感・緊張感が伴いましたが、当時注目されていた新製車両なだけに、同時に大きな喜びを得ることができました。いろいろな車種を運転する中で最も貴重な経験の一つでしたね。また、これまで、2004年のJR京都線朝・夕通勤時間帯の増発、2013年の12両化の拡大、2018年の琵琶湖・JR京都線(土休日・午前)の増発など新快速の利便性向上に関するダイヤ改正にも複数携わってきました。そういった意味でも、新快速への思い入れは人一倍強く持っています。
新快速は当社にとっても私個人にとっても「アーバンネットワークの象徴」と言えましょう。だからこそ社会インフラを支える使命があると考えています。コロナ禍により広域移動の制限があったりしますが、必要とされるお客様がいらっしゃる以上、我々としては支え続けなければいけないと考えています。もちろん、これまでの50年、沿線の皆様のご理解があったからこそ、ここまで走ってこられたと思っています。引き続きお客様に感謝し、先人の方へ感謝しつつ、より良いものを作っていきたいと考えています。
■新快速の魅力に迫る
姫路列車区 技術主任運転士(シニア) 船曳登志雄(ふなびき としお)
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全社でも現役で10名程度しかいない技術主任運転士(シニア)。長年新快速の運転士として務め、現在では通常乗務のかたわら、月の半分は後輩運転士の指導にあたっている。
<奥が深い新快速の運転>
新快速は停車駅が少ない分、普通電車と違って走り方が大きく異なります。ただ走るだけではなく、合理的な運転をしなければなりません。長距離を走るわけですから、高架の上だけでなく、踏切のある路面も走る。途中いろいろな要因により決められた時間から遅れが生じることもあります。その際、カーブや分岐器の制限速度を守り、乗り心地も加味しながら、少しでも時刻表通りに近づける運転操縦を行うのが腕の見せ所です。運転時分を短縮するには単純に速度を上げれば早く到着できると思われがちですが、速度を上げるとその分ブレーキ距離(ブレーキ時間)が長くなり、同時に乗り心地も悪くなります。余分な速度向上やブレーキ操作をせずにカーブをスムーズに回る等、速度を上げることなく安定した運転をすることが安全に早く到着できることに繋がるのです。乗務線区のどこで調整を行うかは、決まっているわけではありません。その都度、その先の路線状況を頭に浮かべ合理的な運転を自分の腕で成し遂げていくわけです。これは停車駅の多い他の列車にはない高い技術を要求されます。新快速の運転は本当に奥が深い、だからこそ私は今もずっと現役で乗務していたい、その魅力に取り憑かれた一人だと思っています。
<ミス明石から花束を>
まだ新快速が130km/hでの運転を開始する前のことになりますが、深夜の運行時間外に223系のテスト走行を担当したことが今でも忘れられません。運転時分は気にせず、制限速度内で可能な限り早く走行してほしいとの指示で、速度や時間の計測はもちろんのこと、コンピュータが弾いたポイントでの速度基準の検証、余裕時間の検証などを行いました。
その後、新快速130km/h化の運用開始時には記念列車を担当し、記念式典ではミス明石から花束をもらったことも良い思い出です。ピカピカの223系(2次車)を運転できたのは私にとって今でも誇りです。
記念式典
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<これまでの新快速、これからの新快速>
新快速の開通当時は田畑ばかりだった景色が、住宅・ビルが沿線にどんどん建ち並んで、あれよあれよという間に都市化が進みました。これによって、ピーク時には車掌がドアを閉めた後も駅スタッフが、お客様が安全に乗車できているかを確認するため、しばらく発車できないといった光景がよくありましたが、ここ最近はそういったラッシュ光景も見られなくなりましたね。
コロナ禍の現状では、通勤時間帯を早朝や少し遅い時間帯にずらすサラリーマンの方々や、データイムにご乗車される主婦やご年配の方々など、多様なニーズに合わせて新快速をご利用いただいているように思います。
50年前といえば、まだ姫路駅でもSLが走っていた時代。たった50年でこれだけ進化したのですから、この先の50年、自動化はもっと進むのではないかと思います。その時に、今運転士が持っている経験で育まれた職人技は、どんなにロボットやAIが普及してもまだまだ必要とされると信じています。私にとって新快速は天職を教えてくれた大切な存在です。ずっと現役乗務員とはいかないまでも、この先もずっと新快速に携わって関西圏のお客様の支えになっていけたらと考えています。
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